抱き合ったまま感じる恋次の肌の暖かさを、以前抱いていた行為の後ろめたさが払拭された今、ルキアは素直に幸せを感じることが出来た。
 仔猫のように身を摺り寄せると、しっかりと抱きしめてくれる強い腕。
「……朝だな」
 部屋に溢れる朝の光を見ればわかりきったことを口にしたのは、重ねた肌を離さなくてはいけないことが酷く残念だったからだ。そんなルキアの想いに気付いたのか、恋次はルキアの頬に口付ける。
「一緒に出るか」
「……うん」
 一緒に出勤、というとまるで夫婦のようだと少し面映い。照れたように笑うルキアの頭を一度撫で、恋次は「風呂沸かしてくる」と名残惜しそうにルキアから離れた。それを布団の中から見送って、ルキアは朝の光に溢れた恋次の部屋をそっと見渡す。
 昼や夜の部屋は知っていても、朝の部屋を見るのは初めてだ、とくすぐったく思いながら寝室を見渡していたルキアは、ふ、と空中に視線を彷徨わせた。
 初めて見る朝の光。
 突然がばっと身を起こしたルキアは、床に脱ぎ捨てられていた死覇装に駆け寄り、伝令神機を取り出した。もどかしげに二つ折りの伝令神機を開き、画面を見―――ルキアは一気に蒼褪める。
 こっそり待ち受け画面にしている、恋次の写真の前面に浮かび上がった文字。

『着信148件』

 恐る恐る押したボタンで変わった画面に、ずらりと並ぶ名前……ではなく、ルキアが登録したその呼称。

 『 5:52 兄様
   5:49 兄様
   5:46 兄様
   5:42 兄様 』

 最後まで画面をスクロールさせていくと、一番最初は昨日の夜、9時23分から始まっている。
 そこから148件……延々と続く、時刻と『兄様』の文字。
 およそ3分に1回の頻度でかかってきているその着信履歴を呆然と眺めていたルキアの手の中で、伝令神機の画面が発光し、『着信 兄様』と浮かび上がった。
 音も振動も何もない。それは昨日の十三番隊会議にルキアが出席した時に、音と振動をオフにしたまま解除を忘れていた所為だ。その所為で全く着信に気付かず、今に至ったわけなのだが。
 固まるルキアの目の前で電話が切れる。先ほどまでの表示から1件増え、画面には『着信149件』と浮かび上がる。
 ルキアは卒倒しそうになった。



 湯船を洗い蛇口を捻り、溜まっていく湯を確認して、恋次は鼻唄を歌いながら風呂場を出た。
 思い出すのは昨晩から今朝までの幸せな時間で、自然恋次の顔はにひゃ、と緩む。恥じらいながらも積極的に恋次を求めたルキアの可愛さに、再び変形する自分の分身を感じ、湯が溜まるまでもう1戦、それとも風呂場でもう1回、いっそどちらもであと2回、と考えながら寝室に向かっていた恋次は、突然飛び出してきたルキアと真正面からぶつかった。
「な、何だ!?」
「すまん恋次!急用が出来た、先に帰る!」
「ああっ!?」
 既に完璧に死覇装を纏い、つい10分前までの甘い雰囲気など微塵も感じさせずにルキアは恋次を押し退けるように走り抜けていく。慌てて「ちょっと待て!」と引き止めた恋次に一度だけ足を止め、ルキアは振り返った。
「急用ってお前……」
「いや、私自身の問題でな、お前は気にするな。また後ほど会おう……いいか、追ってくるなよ?」
 絶対だぞ、と念押しするルキアの迫力に思わず恋次が頷くと、ルキアは爪先立って恋次の唇に軽く口付ける。
 腰に回そうとした恋次の腕をするりとすり抜け、ルキアは「大好きだからな!」と一言残し、後は恋次を振り向くことなく走り去っていく。
 後に残された恋次は、ただ茫然とルキアの背中を見送るばかりだった。




 一心不乱に六番隊隊舎に向かうルキアの懐から、軽やかな電子音がする。設定を戻した伝令神機の着信音に、ルキアは立ち止まり一つ大きく息を吸う。
 意を決したようにえいっとルキアは通話ボタンを押した。
「……兄様?」
 暫く無言の後、『ルキア』とようやく声がする。珍しく感情を表した声……そのほっとしたその声に、ルキアは申し訳なさに激しく胸が痛む。
『今何処に居る』
「兄様に……六番隊に向かっているところです」
 そのルキアの返答に、白哉は即座に「家に帰れ」と告げた。
『お前に話がある。隊舎では話が出来ぬ。屋敷に戻れ、私も直ぐに戻る』
 声は再び普段の無表情な声に戻っている。「はい」とルキアが答えると直ぐに通話は切れた。
 踵を返してルキアは走る。
 白哉は当然怒っているだろう。何よりも掟を重んじる白哉のこと、連絡も入れずに外泊したルキアに罰が下るのは当然の事ながら、共に居た者にも同じ程のペナルティは付けるだろう。外泊の相手が恋次と知れたらなおの事、恋次の身は冗談ではなく無事ではすまないかもしれない。
 恋次の生命を護るためには自分が誠心誠意謝罪しなければならない。自分の勘違いから謂われない罪を恋次に被せたのは自分なのだから。翻ってみれば、元々の原因、「もうしない!」という言葉を放ったのも自分なのだから。
 必死に走るルキアの目の前に、一日振りの朽木邸が見えてきた。 




 目の前に座っている白哉は一睡もしていないはずなのだが、そんな気配は微塵も見せずにルキアに向かい合っている。
 その白哉の前で正座しながら、ルキアは項垂れていた。
 白哉を前にしてルキアはまず謝った。何の連絡も入れず、無断で外泊したのだ。白哉の怒りは相当なものだろうと覚悟していたルキアの予想に反して、白哉はいたって冷静に、ルキアの謝罪を受け入れた。
 何処に居た、と問わないのは聞きたくない所為なのか、既に承知している所為か。
 そうしてしばらく後、手を付き頭を下げているルキアに向かって白哉が言った言葉は―――
「一ヶ月、外出を禁じる」
「一ヶ月……」
 顔を上げたルキアの目に映る白哉の表情はいつも通りの無表情だ。
 怒っている様子はやはりない。
「出廷もしなくて良い。浮竹には私から連絡する。向こう一ヶ月、お前はこの屋敷に居るように」
「あ、あの……」
 話は終わった、とばかりに立ち上がる白哉を引き止める言葉は、ルキアにはなかった。一晩中心配を掛けてしまった非は自分にある。異を唱えることは許されない。
 ルキアは無言でもう一度頭を下げた。
「伝令神機を」
 差し出された手に、ルキアは自分の伝令神機を置く。
 白哉のルキアに対する罰―――きっとそれは、恋次と逢うことを許さないということ。
 そうされても仕方がないとルキアにはわかっている。
 けれど、恋次に一言も事情を説明できない―――その事が恋次に申し訳ないと思う。
 何も言わずに姿を消し、一ヶ月の間事情も説明できずに逢うことが出来ない。
 身から出た錆とはいえ、あまりにも自分にとって辛い罰に、ルキアは重く溜息を吐いた。




 時はゆっくりと過ぎていく。
 仕事に行くこともなく、ただ屋敷の中に居るルキアの時間は、喧騒というものとはかけ離れた穏やかでゆったりとした時間だ。
 一日の全ての時間を、ルキアは白哉と過ごしている。
 白哉も何故かルキアと共に仕事を休んでいた。故に、ルキアは白哉と一緒にいる時間が殆どだ。
 共に同じ部屋で書を読み、景色を見、書を書き、言葉を交わし、時には剣を交え、鬼道を習い、そして食事を共にする。
 初めてと言って良い、濃密な兄妹だけの時間。
 恋次の声はやはり聞いていない。恋次は恋次で何とか連絡を取ろうとしているようだが、全て最初の入口で撥ね付けられている。主人の命令の行き届いたこの屋敷では、恋次の声をきちんと把握しており、例え偽名を使っても直ぐにばれてしまうのだ。
 せめて説明だけでもしたいのだが、それをする手段はルキアにはない。ただ、約束の一ヶ月が過ぎるのを待つだけだ。
 そうして二週間経った、その日の夜。
「―――ルキアさま、四番隊の山田というものから電話が来ておりますが」
 静かに花を活けていたルキアが顔を上げると、傍で見守っていた白哉が頷いた。軽く頭を下げ、ルキアは従者から受話器を受け取り、受話器の向こうの花太郎に向かい「はい」と話しかける。
『朽木さん?』
 遠慮したような、いつもの花太郎の声。
 何とか恋次に心配するなと伝えてもらう術はないだろうか、と考えながらルキアは「ああ」と返事を返す。
「私だ。如何した花太―――」
 突然手にしていた受話器が取り上げられた。あ、と声を上げた途端、受話器から『ルキア!』と、花太郎ではない、聞き間違えようのない声がする。
『ルキア、お前一体如何し―――』
「ルキアは今、手が離せぬ」
 無慈悲に通話を打ち切ると、白哉は受話器を従者へ手渡した。恭しくそれを受け取って、従者は頭を垂れ部屋から辞す。
「あ奴のやりそうな事はわかっている」
 静かに呟きながら白哉はルキアを見る。そこにしょんぼりと項垂れているルキアを見つけ、白哉は「辛いか」と尋ねた。
「恋次に逢えなくて辛いか?」
 心のままに、辛いと答えていいのだろうか、とルキアは躊躇する。思えば、白哉に向かって恋次への想いを仄めかすような事は、今まで一度も口にした事はない。察してはいるのだろうが、自分に甘い、紛れもない保護者に向かって、自分の想い……恋心を伝えるのはやはり気恥ずかしく気が引ける。
 けれど、自分の恋次への想いを否定するのは嘘でもしたくなかった。自分が恋次を好きだという事は決して隠すようなことじゃない。そんな影に追い遣るようなものじゃないはずだ。
 結局ルキアは想いを口にはせず、ただこくんと頷いた。
「これは、無断で外泊したお前への罰でもある」
 座ったルキアを、立ち上がったままの白哉は見下ろしている。以前のような威圧感は感じられないが、ルキアは手を畳みに付けて頭を下げた。
「はい。―――承知しております」
「……それは建前にしか過ぎぬ。―――罰、のつもりは私にはないのだ」
「え?」
 驚いたルキアは頭を上げる。ふわりと撫でられた頭に、軽く目を見張った。
「―――何時までも手放したくはないと、正直思う。しかし、そうもいかないのだろう―――」
 優しく、何処か淋しげに微笑みながら白哉は言う。
「緋真が私の元へ嫁いだのはお前よりも早い。そう考えれば、何時までも私の手元から離さない訳にもいかぬな……お前の幸せを思うのならば」
「兄様……?」
「お前ももう直ぐ、あ奴の元へ嫁ぐだろう。その前に―――最後に、ゆっくりとお前と時間を過ごしたかった。その為の一ヶ月だったのだが―――」
 ふ、と白哉は笑った。兄と妹、二人きりの時間を諦めるように、苦笑する。
「―――どうやら、一ヶ月持たなかったようだ」
 その最後の言葉の意味を理解できず、首を傾げたルキアの耳に、突然硝子の割れる派手な音が飛び込んできた。次いで、従者たちの悲鳴、驚愕の声。そして―――
「ルキア!!」
「れ、恋次!?」
 思わず立ち上がったルキアの視線の向こう、長い廊下の先に、見間違えようのない紅い色彩が―――ルキアを見つけ、勢いよく駆け寄ってくる紅い姿。
 そうはさせまいと群がる朽木家のお庭番を払い除け、恋次は「ルキア!」と叫びながら真直ぐにルキアに向かう。
 けれどもお庭番の数は多い。人海戦術で圧し掛かる彼らを完全に引き離すことが出来ずに、恋次は背中に何人も背負いながらずるずると近付いてきた。まるで巨大な蝸牛のようだ。最初の驚きが通り過ぎると、その光景の荒唐無稽さに唖然としているルキアの耳に、やはり呆れたような白哉の声がする。
「……本当にあ奴でいいのか」
 考え直すならば今の内だぞ、と目で諭す白哉に向かい、ルキアはにこりと―――最上の笑顔で微笑み返した。
「緋真さま―――姉さまを愛した、いいえ、今も愛している方、その方と同じ大きさの愛情を、恋次は私に与えてくれます。そして、姉さまがその方を愛した同じ大きさの愛情を、私は恋次に持っています」
 幸せそうに微笑んだ義妹に、白哉は苦笑し―――
「もうよい。恋次を離してやれ」
 恋次に覆い被さっている数多の従者たちにそう告げ、優雅に歩き出す。
「―――割った硝子の修復を明日させる故、今日は恋次に泊まっていくように伝えよ」
「はい、兄様」
 お休みなさいませ、と頭を下げ見送るルキアの背中に回される腕と、「ルキア!」と名前を呼ぶ愛しい声。
「お前一体―――二週間連絡取れねえし、心配で俺は―――」
「その事情はこれからゆっくり話すから」
 二度と離さないとでもいうような、あまりにも強く抱きしめる恋次に、胸の内が暖かくなる。
 ―――兄様がお前との結婚を許してくれたと知ったのなら、お前はどんな顔をするんだろうな。
 その瞬間を想像してくすくすと笑うルキアを不審げに眺め、恋次は「何笑ってんだよ!」と頬を抓る。
「痛っ!何をする莫迦恋次!!」
「人が心配してんのに何へらへら笑ってやがる!!」
「別に私が私の家に居るだけではないか!心配するような事は何もないだろう!!」
「な……っ!」
「明日は貴様が破壊した部分の修理だからな。しっかり寝ておけよ?大丈夫だ、布団は上等なものを用意してやるから」
 さすがに一緒の部屋で休む事は出来ないけど。
 自分を取り戻すためにこの屋敷に乗り込んできてくれたこと、眠るまでの数時間久しぶりに二人で一緒に居られること、そして白哉が恋次とルキアを認めてくれたこと、それがルキアは素直に嬉しく―――
「恋次、大好き!」
「うおおおっ!?」
 抱きついたルキアと驚く恋次の姿を見た朽木家の従者はその場にはない。
 主の命に忠実な彼らは、二人きりにしてやれ、という白哉の命令を、僅か十秒で全員が実行したのだから。
 
 











と、いうわけでLIBIDOおまけ話です。
あれ?恋次全然出てこな…(笑)


ご購入ありがとうございました、小話に毛が生えたようなもので申し訳ないのですが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!



司城さくら