――この時期がまた来てしまった。
 この時期は嫌いだ。いや、知った時は好きだった。可愛らしい行事だと思ったし、楽しそうだとも思った。
 でも、今は嫌いだ。
 本当に厭だ。
 この日が来ることなど考えたくない。
 と毎日思っていたのにその日が来てしまうのは当然のことで。




 今日は嫌いだ。
 本当に厭だ。
「何でだよ? 俺は好きだけど」
「諸悪の根源が何を言うか!」
 呑気に好きだとかいう赤毛の阿呆を振り返って私は怒鳴りつけた。
「嫌いだ嫌いだ大嫌いだ! ハロウィンなんてなくなってしまえ!」
「そこまで嫌わなくても」
「誰の所為だと思っている!」
 恋次の部屋の長椅子の上。
 体格の良い恋次に合わせて作られたその椅子は大きい。
 その椅子の上に恋次が座って、その恋次に私が座って。
 ……いや、座らされて。ここは重要だ。
 私は恋次に座らされている。
 恋次は背後から私を閉じ込めるように抱きしめて、髪やら頬やら首筋やら耳朶やら無意味に触れている。
「だからさっきから何をやっている莫迦者!!」
「何って……悪戯。」
 ふう、と耳に息を吹きかけられてぞくっとした。
 そのぞくっは嫌悪からじゃなくて、…………………いやいやいやいや、嫌悪で嫌悪で!
「だからそういうのはやめろとさっきも去年も一昨年も言っているだろう!」
「そうだっけか」
「そうだっ!」
「でもハロウィンだし」
「だから嫌いなんだ! 嫌いだ嫌いだ、ハロウィンなんてなくなってしまえ!」
 何度言っても。
 何回言っても。
 何を言っても、何をしても、恋次はこの日に私に悪戯することを至上の目的としている。
 しかも、その、何というか、えええええええええっちな悪戯を。
 口にするのも憚れる悪戯を。
 去年も一昨年も。
 ――私がハロウィンを嫌いになるのは無理ないと自分でも思う。
「そんなこと言って、お前だって楽しんでるじゃねーか」

「断じて違う」

 ぎろりと睨みつけると恋次は「そういう事にしといてやるよ」的な笑顔を浮かべた。
 その笑顔にカチンときた。
 違うと言っているのに頭から信じていない恋次に、あれを使う事を決断した。
 …………もう迷わない。
 本当は少し迷っていたのだ、これを使う事に。いくらなんでもそれは酷いと、自分で自分を止めていた。
 つい1秒前までは。
「――――もう怒った!」
 懐から取り出した小さなアトマイザーを恋次の鼻先に付き付ける。特に動じない恋次に更に腹を立てながら、私は「これでも食らえっ!」とシュッと中の薬を恋次に吹きかけた。
 霧状のその気体を吸いこまないように息を止める。
 そしてその霧が晴れた頃、目の前には――
「どうだ! 十二番隊特製、通称DSUN――正式名称『誰でもすぐにうさぎさんになっちゃうよ』だっ!」
 恋次の頭には、ぴょんと二つの耳が立っていた。
 鮮やかな紅い髪の色と同じ短い毛で覆われた紛れもないうさぎみみ。
「今年は私がお前に悪戯をするっ! 毎年毎年、黒猫やら魔女やら仮装させられる私の恥ずかしさを知ってもらうぞ!!」
 そう、去年は恋次が用意した黒猫衣装(耳としっぽと首輪付き)を勝負に負けて嫌々身に付けさせられ、一昨年はものすごく短いスカートの魔女扮装を強引にさせられた。
 だから今年は決めたのだ。
 やられる前にやれ。
 仮装させられる前に仮装させろ!
「ふーん」
 ところが恋次は特に動揺する様子もなく窓硝子に映る自分の姿を見ている。頭に何が生えようがあまり気にはしていないようだ。
 ぴこぴこと意思で動かして見せては、自分で感心している風でもある。
 ――拍子抜けする。
 ぎゃーとか叫んで動揺する恋次が見たかったのに。
 毎年毎年してやられているリベンジをしたかったのに。
 何でこの男は全く動揺しないんだ!普通動揺するだろう、自分の頭に突然ファンシーなうさぎ耳が生えたら!
「なあ、お前知ってるか?」
「何を」
 投げやりにそう答えた私の身体はあっさりと長椅子の上に押し倒される。慌てる私を抑えつけながら、恋次はにやりと笑った。
「うさぎってのは年中発情してるんだと」
「な、な、な」
「メスと一緒にすると神技な速さで襲いかかってヤるらしいぜ?」
「そうかそうか為になる知識をありがとう、だから早く退いてくれ」
「ところでルキア」
「何だ、重いのだが早く退いてくれ」
「俺は今うさぎだよな?」
「うさぎじゃないうさぎじゃないうさぎじゃない! 莫迦やめろそんなとこ触るな駄目だって……――っっっ………っ――っ」




 ハロウィンなんか大嫌いだ。










 羞恥。
 どちらの字も「はじる」という意味の言葉だ。
 羞じる。恥ずかしい。
 二つ重ねることは言葉の強調、ただの「はずかしい」じゃ足りないくらいの「はずかしさ」。
 私は2年前の10月31日から毎年この日、この言葉を胸に耐えていた。
 全ては恋次の所為で。
 最初は魔女、次は黒猫。
 そして今年も何かの格好をさせられるのは明白で。
 しかも去年以上の格好をさせられるのも明白で。
 ならば「はじる」二つの漢字だけじゃ足りなくなる。これ以上の漢字なんてないのに。その時には私の「はずかしさ」はどう表現したらいいのだろう。
 という不安は一つの言葉の前に消え失せる。
 つまり――
『やられる前にやれ』





「の筈だったのに!!」
「あ?」
 思わず口走った私の横で恋次が私を見下ろした。
 背の高い恋次は私を見る時は必ず俯く形になる。そしてそれは、重力に従って、つまり頭に生えた二つの長い耳もぴょこんと――
「どうした?」
「何でもない」
 ぷいっと顔を背ける私に、お見通しだと言わんばかりに声を出さずに笑って恋次は前を見る。その行動は普段と変わりなく。
 その外見は普段と著しく違うというのに。
 すれ違う皆が思わず立ち止まるほど。
 ほぼすべてのすれ違った隊員たちが二度見して絶句する事にも意に介さず、恋次は堂々といつもと変わりなく歩いている。
 人通りの多い商店街の中を。
 頭にうさぎ耳を生やして。
 ただでさえ背が高く、六番隊副隊長で、しかも顔に(顔だけではないが)刺青をしている恋次は非常に目立つ。何もしてなくても目立つというのに、その頭にぴょこんとうさぎ耳が生えているのだ、これ以上ないくらいに目立っている。
 けれど恋次は全く普通で――むしろそのうさぎ耳を皆に見せる為かのように、私を連れて外に出た。
 つい先刻まで恋次の家で悪戯――まあその、いや、なんというか、ええと――玩具にされて――いやこれも語弊が――その、触られて――無理矢理だ!私は厭だって言ったのに散々色んなところを触って、ってうわ! いや、そんな、別に何処とは――……っ、まあ兎に角、あの莫迦は私を疲労困憊の状態にした後、椅子の上で荒い息を吐いている私に向かって「外で飯を食おう」と言ったのだ。
 触るだけで恋次自身は何もしなかったので私は多少驚いた――いや、期待していたわけでは勿論ない! そんな破廉恥な事私が考える筈ないだろう!! ただ私は、その、恋次が最後までしないのは珍しいと――だから違う! べべべべ別にいつも最後までしてるとかそんなんじゃなくて、と、とにかくっ!
 恋次が自分で外に行こうと言い出したのだ。うさぎ耳のままで。
 その時の私は、恋次が外に出る事によって恋次自身に「羞恥」と言う物を知ってもらえると――毎年私が味わわされている恥ずかしさ、それを心行くまで恋次に味わってもらい、来年からはこう言ったことを私に強制させないようにという思惑から頷いたのだ。
 流石の恋次も、道行く人たちの視線に羞恥を覚えるだろう。
 そう、普通のものならば恥じ入るだろう、頭にうさぎ耳を付けたまま外を歩くなど。
 が。
 ――恋次は普通ではなかった。
 全く気にしない。むしろ堂々と歩いている。羞恥のしゅの字も感じられない。ごく自然にごく普通に、普段と全く変わりなく、恋次は私と歩いている。
 そして、堂々としている、それ自体が――強力なガードになると私は知った。
 恥ずかしいと俯くから、人はそれを囃したてるのだ。
 見られたくないと隠れるから人はそれを暴こうとする。
 恋次のように堂々としている者には、人は驚きの視線を向けはするが、その数秒後にはそれを受け入れて離れていく。
 全く予想外――全く予定外だ!
 これでは来年も私は「羞恥」という言葉を胸に10月31日を過ごさねばならなくなる。
 とりあえず今年は何も仮装しなくて済んだというのが救いだが。
「――何やってんだ恋次?」
 溜息を吐く私の耳に、聞き慣れた人の声がした。すぐに恋次の「檜佐木先輩」という返事も耳に入る。
「何だお前その耳」
 呆れたように言う檜佐木殿の言葉に、私は内心ガッツポーズをとる。そう、指摘してください檜佐木殿! 恋次のうさぎ耳を! 恋次が羞恥を感じるように、思いっきり笑ってください!!
「これ? ルキアのリクエストですよ」
 さらっとそう答えた恋次に私は「なっ……」と絶句する。
「どうしてもうさぎ耳を生やして欲しいらしくて、半ば強引に」
「そりゃあ……朽木も意外な趣味を……」
 けもの耳ふぇち? と呟かれて私の顔は真赤になった。

 私が羞恥を感じてどうする!?

「ち、違……っ」
「しかもそのまま恋次を外歩かせるか……意外や意外、朽木は少々Sッ気が」
「ち、違……っ!!」
「いやもう俺は下僕ですからねえ。ルキアの言われるままですよ。すっかり飼い慣らされて、俺。なんせうさぎですし、さっきも煽るだけ煽られてお預けとか」
「お前が私を散々煽って勝手にやめたんだろうが!!」
 はっと我に返ったがもう遅い。檜佐木殿は面白そうに私を見て「ふうん」と笑った。さっきの比ではなく私の顔は赤くなる。顔から火が出そうだ。
「ま、楽しい夜を」
 手をひらひらさせて行ってしまう檜佐木殿の誤解を解こうと追い掛けた私を、恋次は「腹減った」と腕を掴んで引き戻した。
「ペットの面倒は見てくれよ? 可愛がって欲しいんだけどなあご主人様」
 その恋次の言葉に、すれ違った四番隊隊員が驚いて振り返った。
 その視線が恋次のうさぎ耳と私の顔を行き来する。
 やがて、見てはいけない物を見てしまったような――例えば、角を曲った時に抱きあって接吻している恋人たちを見てしまったような、上司の秘密の趣味を覗き見てしまったかのような、そんな慌てた様子で足早に去っていく四番隊隊員の背中を、私は「違う!」と追いかけたくて仕方なかった。




 羞恥を感じるのは恋次の筈で。
 これは去年と一昨年の私への仕打ちの報復の筈で。
 それなのに、それなのにどうして。

 私が羞恥を感じなければいけないのだ。








「何で機嫌が悪いんだよ」
「うるさい」
 外食後、再び恋次の部屋に戻った私は不貞腐れて部屋の壁を向いて膝を抱えて座っている。
 機嫌が悪い? ああ悪いとも。これ以上ないくらいに機嫌が悪い。
 恋次に羞恥を感じさせようと、高いお金を支払って十二番隊に特注で作ったDSUNも全く意味がなかった。
 挙句恋次よりも私が恥ずかしいという状況を作らされ。
 しかも、食事をする為に入った店で――不機嫌で黙り込む私を横に、恋次は他の女性隊員と盛り上がっていたのだ。
「きゃー、阿散井副隊長なんですかその耳!」
「やだ、可愛い!」
「触っていいですか!?」
「すごい、本物! やーん、やわらかい!!」
「あははは、副隊長似合うー!!」
 ……などという黄色い声と共に。
 群がる女性たちに触らせてたのだ、恋次は。うさぎみみを。
 私が横に居るのに。
 あの女たちもあの女たちだ、横に私が居るのに!!
「おーい、何で壁ばっか見てんだよ?」
「うるさい黙れ!!」
 八つ当たり気味にそう怒鳴った私の背中から、恋次が抱きしめてくる。思わず硬直した私の耳に、「さびしいんだけど」と甘く囁かれた。
「うさぎは淋しいと死んじゃうんだぜ」
「――それは俗説だ。本当のうさぎは淋しいからって死なない」
「でも俺はお前が冷たいと死ぬ」
 うさぎよりうさぎらしいだろ? と――からかうように恋次は言う。
「お前がいないと死ぬ。――お前が居てくれなくちゃ、生きてる意味がねえから」
「――――――――――――――本当にお前は……」
「可愛がってくれよ? ご主人様」
 恋次のうさぎ耳が、私の目の前でぺたんと折れている。機嫌を伺うように、機嫌を取るように。
 傍若無人なくせして。
 いつも私を振りまわすくせに。
「――お前が私を喜ばせるならな。それがペットの役目だろう」
「了解……」
 笑みを含んだ恋次の甘い声が耳朶をくすぐる。首筋に落とされる唇の暖かさに身悶えしながら私は「ずるい」と呟いた。
「何が?」
「お前にうさぎ耳は似合わないと思ったのに。笑ってやろうと思ったのに」
「のに?」
「……………………予想に反して」
 かっこいい、なんて言ってやらないけど。
 うさぎ耳なのに自信たっぷりで。
 女ったらしのうさぎ。
 女性のあしらいが上手くて、私のあしらいが上手くて。
 でも――私だけのうさぎ。
 私だけに懐いてればいい。他の女に触らせたくない。
「恋次……」
 目をつぶって恋次の背中に腕をまわしたその時――
 しゅっと顔に何かが吹き付けられた。
「!?」
「はい、うさぎもう一匹」
「な、ななななな」
 見覚えのあるアトマイザー。それを手にして笑う可愛げの欠片もない、紅い髪のくせに腹の真黒なうさぎ男。
「年中発情期のうさぎ同士、朝までやろうぜ?」
「ああああああああああああああああ!?」
 耳に――私の耳に、ぴょこんと。
 二本の、黒い――長い、
「やっぱ似合うなルキア。可愛い可愛い」
「やだ――――っ!!」
 今年はしないって思ったのに! 絶対やだったのに!!
「尻尾は生えてっかな―」
「やだやだ見るな莫迦――――っ!!」
 くるんとひっくり返されて私は絶叫した――すぐにその声は別の響きを持ってしまうけれど、
 せめてその前に、もう一度叫びたい。




 ハロウィンなんて大っきらいだ!!!