「はばたき市に行かねえ?」
 はばたき市、と聞いてたつきはすぐにぴんと来たのだろう。はばたき市の何処とは言わなくてもすぐにわかったようだ。
 はばたき市は昔から男女の健全なデートコースの定番、恋人同士になった者は必ず通る道であるそのデート場所……遊園地がある。
「行く」
 あそこのジェットコースター一度乗ってみたかったんだ、と続けたのはたつきの照れ隠しか。
 その言葉から、たつきがその遊園地に行ったことがないと知って俺は内心胸を撫で下ろす。
 ずっと一緒にいたとは言っても、休日などはたつきが誰と何処へ行っていたかまでは分からない。
 隣で絶叫マシーンを一つ一つ上げているたつきをちらりと盗み見る。今、俺の横数センチに在るたつきのその手を今握りしめたらどうなるかな、と考えた。
 

 たつきと俺の関係が幼馴染から恋人へと変わったのは、ついこないだ……夏休み中のことで、生まれて17年目にして初めて口という器官が物を食ったり言葉を発したりするだけのものじゃないと知ったのも同じ時系列。
 その時以降、俺の口がその使い方をすることはなかったが、それはそれ。
「今度の日曜日に行こうぜ」
 二度目の使用という下心をこっそりと抱きつつ、そう尋ねた俺にたつきは「あ、今度の日曜は……」と表情を曇らせた。
 今度の日曜は何処かへ行こう、という根回しだけは3日前にしておいた。それを断るとなると、余程の用事が入ったということだろう。
「都合悪いか」
 かなりがっかりした内心を表面に出さないように、じゃあしょうがねえな、とたつきの負担にならないよう、そうあっさりと俺が答えたその時――
「ありさわせんぱーい!」
 語尾にハートを付けた甲高い声の四重奏に、俺の眉間のしわが深くなった。
 長く苦しい茨の道を乗り越えて、ようやく自分だけのものに出来たと、これで二人の間を邪魔する者はいなくなったと――喜んでいた俺が浅はかだったのだろうか。いや、そんな筈はない。普通はこんな状況あり得ない。
「今帰りですか? ご一緒してもいいですかぁ」
 きゃいきゃいと騒ぐ4人の下級生たちは、たつきの横に立つ俺など眼中にない。あからさまに俺を無視してたつきに纏わりついている。
 ――こんな状況を誰が予想しえただろう。


 たつきはえらく下級生の女に人気がある。
 整った中性的な顔立ち、真直ぐな気性、媚びない性格。すらりと細い身体、そして今年の空手のインターハイ優勝というその実績は、一部の女生徒の間でたつきを王子様へと変貌させていた。
 まさしく宝塚の男役トップスターのように――たつきには熱心で熱烈な信者が居る。
 特に今たつきの周りを取り囲んでいる4人は「有沢先輩親衛隊」と勝手に名乗り、事あるごとにたつきに纏わりついている。その4人組にしてみれば、たつきの横にいる俺の存在など邪魔なだけなのだろう、俺を見る眼つきはたつきを見る眼つきとは正反対、地べたを這う毛虫を見るようなそんな目だ。
 何でこいつらに放課後デート(と思っているのは俺だけかもしれないが)を邪魔されなくちゃいけねーんだ、と「たつき」と名前を呼んで引張り出そうとした、その時。
「今度の日曜日の相談、一緒にしましょう?」
 その言葉にたつきは一瞬、しまった、というような表情を浮かべた。慌てたように俺を見る。
「……そーかよ」
「一護?」
 焦ったように俺を呼ぶたつきに、「じゃ、俺先帰るわ」と片手を上げて帰路に付く。
「一護!」
 背中にたつきの声がぶつかったが、4人組が阻止したようで、たつきが追いかけてくることはなかった。それに更に腹を立てながら歩く俺とすれ違う人たちは、何故か一様に俺から離れ道を譲ってくれた。



「ごめん」
「別に謝ることないだろ」
「……一護、怒ってるじゃん。ごめん。本当に悪かったってば」
「だから別にいいって。お前が俺よりあいつらを優先したいって思っただけだろ。お前がそう思ったんならそれでいいんじゃね?」
 あれからしばらくして、私服に着替えたたつきが俺の部屋へと上がって来た。勝手知ったる何とやらで、玄関も全てフリーパス、誰の案内もなく勝手に俺の部屋へと入って来た。
 そんなたつきには視線を向けず、俺はベッドの上で寝転がって雑誌を読んでいる。
「だから、インハイ優勝のお祝いをあの子たちがしてくれるって――あの子たちの都合で、今度の日曜日じゃないとダメって、だから」
「ふーん、そりゃ良かったじゃねえか」
 気のない声でページをめくる。秋のデート場所特集。今俺が一番見たくない記事だ。
「だから……人の好意を無になんて出来ないだろっ!」
「だから別にいいって言ってんじゃねえか!」
 大概俺も大人げない。それは自覚しているが、たつきが俺より下級生を優先したことに多少なりともショックを受けているので仕方がない。
 何かたつきの中での優先度、すっげえ低そうだな、俺。
 たつきは唇を噛んで俯いた。自分が先に約束を破ったと自覚している所為で、もうそれ以上何も言えないのだろう。
「ごめん……本当に。あたし、多分あんたに甘えてた……」
 一護なら許してくれるって。
 伏せた睫毛の端が濡れている。たつきはすぐ泣く女じゃないのに、半月前に続いてこれで今年2度目だ。
「嫌いにならないでよ。ごめん。本当にごめん……一護が許してくれるまで謝るから」
 ぐい、とたつきは目元を手で勢いよく拭った。泣いて済まそうとしていると思われたくないんだろう。泣けば全てを許される、そう思っている女をたつきは心底軽蔑しているのを俺は知っている。
「それで、本当に勝手なんだけど、自分勝手なんだけど、でもあたし、今週は無理だけど、一護が許してくれるなら、来週……一護と、遊園地行きたい」
 男言葉で威勢のいいたつき。
 正しくないことは嫌いで、弱い者の味方で、自分よりも弱くて小さいものにはひどく優しい。頼られると弱くて、懐かれると無碍には出来ない。
 だから今度の日曜日も、下級生たちがたつきの為にお祝いをしてくれるというのを断れなかったのだろう。そしてたつきは、俺ならば許してくれると思ったのだ。
 それはやはりたつきの我儘に違いない。
 けれど、同時に俺は特別だと思われている証拠なんだろう――他の人間には気を使うたつきが、甘えられる唯一の相手。
 それが、俺なら。
「一護と遊園地、行きたい」
 こんなたつきの姿は俺しか知らない。あの4人組は絶対知らない。俺しか知らない、俺にしか我儘を言わない、俺にしか甘えないたつき。
「……わかったよ、来週な」
 恋する男は馬鹿で単純。
 こんな風にお願いされたら、もう自分の機嫌なんて放り投げて両手を上げて全面降伏だ。
 喧嘩は終了。それを伝えるためにベッドから起き上がって雑誌を閉じる。
「……本当にごめん」
「もういいって」
 まだちょっと目の赤いたつきの頬をつまんで引っ張る。びよんと伸びた頬に、こんなことをされたことはないだろうたつきは驚いて、怒ることを忘れて目を丸くしている。
「ああ、でもやっぱり多少の慰謝料はもらわないと。今週の日曜、たつきと一緒に出かけるのを俺はすごい楽しみにしてたんだし」
「慰謝料?」
 頬を引っ張られたままだから「いひゃりょほ?」と聞き返したたつきの頬から手を離して、その唇に軽く。
「っっ!?!?」
「慰謝料」
 唇を覆って真赤になって飛び退るたつきの顔を覗き込む。う、とか あ、とか言葉にならないたつきに、
「人の好意は無にしちゃいけないんだろ?」
 そうにやりと笑うと、たつきは更に赤くなって下を向いた。
 唇を覆った手が下がる。
 そうしてたつきは俺の好意をきちんと受け入れてくれた。