ぱしり、と地面に落ちた小枝を踏む音がして、ルキアは俯いていた顔を上げた。そこに、幼い頃から見慣れ続けた紅い髪と仏頂面を見つけ、困ったような、ほっとしたような笑みを浮かべる。
「……何してんだよ」
「別に。……そうだな、強いて言えば静かに時を過ごしたいというところか」
 雑音が酷くてたまらぬとルキアは軽く肩を竦める。
「嫉む者、おもねる者、からかう者、羨む者……私の姓が『朽木』に変わるだけで私自身は変わらぬというのに、こうもあからさまに人々の態度が変わるとはな」
 鼻で笑いながら、ルキアは玩んでいた足元の草を引き抜き口に加える。
「……おい」
「ん?」
「草」
「ああ」
 文章にしなくても、ルキアには恋次の言いたい事が解ったのだろう。口に咥えた草を苦笑しながら地面に捨てる。
「貴族の令嬢には相応しくないか」
 お前の癖がいつの間にかうつったな、とルキアは笑った。
「これからは草など口にすることもあるまいよ。大きな部屋で、大勢にかしずかれて過ごすのだからな」
 私に相応しい生活の始まりだ、とルキアは得意気につんと顎を上げる。
 それは普段のルキアと変わらない態度。恋次にだけ見せる、少し高慢で皮肉気な言葉と表情。
 普段と何も変わらない。
「出発は―――何時だよ?」
「正午の鐘がなったら学院の正門に行く。だから12時30分くらいには発つ、かな」
 楽しそうにルキアは言う。
 朽木家の養子の話が決まってからというもの、ルキアはその出発日を楽しみにしていた。この場所、恋次とルキアしか知らない、この校舎から離れた丘で、ルキアは恋次相手に楽しそうに新しい生活の話をしていたのだ。
 朽木に仕える人の数。
 毎月催される豪華な宴。
 見たこともない食事。
 一着で、流魂街なら一年も生活出来る程の値段の着物。
 有能と誉の高い、義兄となる朽木白哉への憧れ。
 これから付き合うこととなる、貴族たちとの交流への期待。
 それらの話をいつも楽しそうに恋次にしていた。
 その貴族の世界へ、今日ルキアは旅立つ。
「お前も私がいなくなって淋しいだろうが、気を落とさずに勉学に励めよ。護廷十三隊に入隊出来ればまた私に会うことも出来よう」
「はあ?お前がいなくなって誰が淋しいって?俺と逢えなくなって淋しいのはお前だろう」
「何を自惚れておる、悪趣味の変態眉毛男。お前の悪人面を見なくてすんでほっとしている私の本心が解らぬか」
「な、何だと!」
「このまま一緒に居れば、お前の悪趣味が私に伝染る所だった……危ない危ない」
「俺もお前の高飛車な言葉をこれから聞かずにすんで清々するぜ。いつも散々バカにしやがって。見てろよ、最速で昇進して、お前の上官になってこき使ってやるからな!」
「入隊試験に落ちた時は私を訪ねてくるといい。私のお情けで、護廷十三隊に口利きしてやってもいいぞ」
「俺が落ちるか!」
「入隊試験には鬼道もあるのだぞ。私が居なくなれば、誰が鬼道万年赤点男、変態赤眉毛に親切丁寧に教えてやる?」
「何が親切丁寧だ!滅茶苦茶あこぎな教え方だったじゃねぇか!」
「お前は叩けば伸びる奴だ」
「何だその上から目線!大体お前の叩き方は容赦が無さ過ぎだ!」
 普段と変わらず。
 ―――何事もないように。
 明日は今日の続きとでもいうように。
 恋次とルキアはいつものように口論する。
 思ったままを口にする。
 想うことは口にせず。
 何も変わらないように。
 今日という日が続くように。
 二人は普段と変わりなく。
「!」
 二人同時に息を飲む―――校舎から遠く響くその鐘の音に。
 そして二人同時に互いを見る―――恐れていた「時」が、遂に二人を捉えてしまった故に。
 そして見つめあった二人の瞳それぞれに、ほんの一瞬、刹那の瞬間、哀しみの光が眩めいたのを、同時に二人は気付いてしまった。
 そして二人同時に―――恋次はルキアを抱き寄せ、ルキアは恋次の胸に身を投げて、互いの視線を合わせずに……引き止めるように恋次はルキアを抱きしめ、縋るようにルキアは恋次を抱きしめる。
「最後まで―――強がり言いやがって」
「お前こそ、最後まで意地を張って―――」
 恋次の声は小さく、ルキアの声は震え、それ以上何も言えずに、誰も居ない丘の上でただ二人だけ、時が止まることを祈りながら―――
 二人の頭上に、蒼く高く哀しいほど透明な空に雲が流れる。
 風に紛れ、恋次の耳に、ルキアの耳に、同時に発した言葉が小さく届く。




           『ずっと一緒に、居たかった。』