「では次に、卯ノ花隊長から伝達事項です」
 護廷十三隊の隊長達の中で唯一人の副隊長、議事の進行を任されている雀部の声が、各隊長の頭上を通り過ぎる。
 雀部の声に優雅に立ち上がった四番隊隊長の卯ノ花烈は、絶やすことのない穏やかな笑みを浮かべて、周囲の隊長たちを見渡した。
「昨日、新たな感染症が発見……いえ、報告されました」
 やわらかい笑みはそのままに、卯ノ花はたおやかな花のように首を傾げて言葉を続ける。
「感染すれば発症は100%。治療法はありません。ウィルスが体内に潜伏すると1時間後に発症します。……このウィルスに感染した隊員が昨日、報告されました」
「……危険ではないのか」
 眉を顰めて視線を向ける砕蜂に、卯ノ花は「感染しても生命に危険はございません。また、空気感染はありませんので、感染者が増えることはないでしょう」と安心させるように頷いた。ならば何故そんなことをこの場所で、と無言で問い直す砕蜂に、卯ノ花はにこりと笑みを深くした……途端、その場の隊長たちは……この、瀞霊廷を護る、比べる物もない比類なき至高の存在、その護廷十三隊隊長たちが……例外なく、びくりと身を震わせた。
「……問題なのは、このウィルスが人為的に作られた、ということです」
 卯ノ花の表情は益々穏やかに、まるで現世の聖母のように、優しく慈愛の微笑を浮かべている。それと共に、他の隊長たちの顔色がどんどん青くなっていく。
「そして更に問題なのは……そのウィルスが、実験の為にある隊員に投与されたということです」
「危険は無いと充分検査した上でのことだヨ」
「お黙りなさい」
 笑顔で卯ノ花はマユリを見つめた。ひ、とマユリの……あの「涅マユリ」の喉が恐怖に鳴る。
「あなたの責任はあとで問うことに致しますが……症状は何日で治まるのです?」
「そういったデータを調べるために投与したのだヨ」
「…………」
 卯ノ花の笑みが更に深くなった。きん、と室内の空気が張り詰める。
「生命に別状はないんだろう?とりあえずその患者の様子を見て……そういえばその感染者って誰なんだ?」
 とりなすように間に入った浮竹を暫く無言で見つめ、卯ノ花は小さく溜息をついた。
「部下の休暇の理由くらい、きちんと把握しておいた方がよろしいと思います、浮竹隊長」
「……え?」



 常ならば絶対に在り得ない大きな音が朽木邸の中に響き、しかもそれが徐々に近付いてくるのを知り、朽木家に勤めて数十年になる藤井は苦笑を洩らした。この事態はこの家の当主の義妹である、藤井が現在主として世話をしている少女が仕事を欠勤した朝の時点で想定していたことだったのだ。
 瞬く間に廊下を走り抜け、藤井が待機する部屋の襖が大きく開かれた。それへ動じる様子も見せず、藤井は「いらっしゃいませ、阿散井さま」と頭を垂れる。
「突然すまねえな、ルキアはいるか?」
「ルキアさまはただいまお体の調子が思わしくなく……」
「聞いた。だから来たんだよ俺は。ルキアは……」
「誰にも会いたくないと仰っております」
「……そんなに悪いのか」
「いえ、ただ……その」
 俯いた藤井の肩が震えている。泣いているのか、そんなにも症状が逼迫しているのか……と一瞬蒼ざめた恋次がもう一度藤井を凝視すると―――
 藤井は、笑っていた。
 声を殺して、くすくすと。
 こほんと藤井は咳をひとつすると「……失礼致しました」と表情を元に戻してから、
「では少々お待ちくださいませ、せっかくお越しいただいたのですから……ルキアさまに阿散井様がいらしたこと、お伝えして参ります」
 すいと立ち上がり、奥のルキアの部屋に繋がる襖を明け、中のルキアに声をかけてから藤井の姿はルキアの部屋へと消えた。
 じりじりと待つこと数分。
「……お待たせいたしました、やはりどうしても会いたくないと」
「そうか……」
 溜息を吐く恋次に「いえ、恐らくルキアさまの本音は、阿散井さまにお会いしたいのだと思うのですが」と藤井は続ける。
「阿散井さまに、現在の姿を見られるのを恐れているようでございます」
「現在の……姿?」
「その、感染症の症状が……現れていますので」
「俺はルキアがどんな姿になったって……」
 流石にそれ以上は言えず、けれど藤井はその先の言葉を性格に汲み取って微笑むと、「では、どうぞ」とルキアの部屋への道を指し示した。
「いいのか?」
「主の本当の意思を尊重するのがわたくしどもの仕事でございます。ルキアさまは阿散井さまをお待ちです。……ただ」
 にこやかな笑顔が消え、藤井の表情が真剣なそれへと変わる。
「……くれぐれも笑ったり致しませぬよう」
「は?」
「さあ、どうぞお通りください。わたくしは暫く奥に下がっておりますので、お帰りの際には声をおかけくださいまし」



「ルキア?」
 襖の前で声をかけて暫く待つも、中から返事はない。1分待って、恋次は「入るぞ」ともう一度声をかけた。制止の声も掛からないので、そのまま襖を静かに開ける。
 ルキアが布団の上に起き上がり、入ってきた恋次を見上げている。
 特に何も変わった様子はない。外見上は普段のルキアと全く変わりはなかった。
「大丈夫か?浮竹隊長に聞いて来た。なんかわかんねーけど、病気になったって聞いてよ……大丈夫なのか」
 布団の横に近付き畳の上に腰を下ろすと、ルキアは困ったように俯いた。きゅ、と小さな手が布団を握り締めている。
「隊長も何で俺に何も言ってくれねーんだ……あの人、一言も俺にお前のこと言わねーんだぜ」
 恋次の言葉を聞いているのは確かだが、ルキアは一言も発しない。
 視線を布団に落としたまま俯いている。
「おい、辛かったら横になってかまわねーぞ。何か食いたいか?何か飲むか?……大体なんの病気だ、お前のかかったやつは」
 びくんとルキアの身体が震え、恋次の顔をようやく見た。悲しそうな顔をしている。それでもルキアは恋次に何も言わなかった。
「……もしかして、口が聞けなくなっちまってるのか」
 再びルキアは俯いた。
「……俺、居ない方がいいか?」
 ルキアは何も言わない。
「……悪かったな、休んでる時に。でもよ、思ったより元気そうで安心したぜ。また……来るからよ」
 ごめんな、と立ち上がった恋次の死覇装が引っ張られた。視線をルキアに戻すと、ルキアが俯いたまま袴の裾を握っている。
「……ルキア」
「私は大丈夫だから、行か……ええと、帰ら……いや、」
 普段とは比べ物にならない程ゆっくりと、ルキアは言葉を発する。一言一言噛み締めるように、まるで子供のようにたどたどしく、時間をかけてルキアは言葉を紡ぐ。
「その……うん、もう少し居てくれ……違う、もう少しここに居て欲しい……あまり、は……いや、あまり言葉を口に出来……ダメだ、ええと……黙っているけど、でも……お前がいい……良いと思う……あ、お前が、構わ……んん、お前が承知してくれるのだったら……」
 言葉は蛇行しているが、それでもルキアの意図は伝わる。口が聞けなくなった訳ではないのだと恋次がほっとした次の瞬間、
「もう少しここに居てくれ……にゃん」


 ……沈黙。


「ああっ!!語尾のことを忘れていたにゃん!!」
「にゃ、にゃん?」
「うわっ!しまったにゃんっ」
がばっと覆い被さるように恋次の耳を自分の両手で塞ぐと、ルキアは「何も聞くにゃ!何も考えるにゃ!」と悲鳴を上げた。
「にゃ…にゃってお前」
動揺する恋次に、ルキアは「もうダメにゃああああっ」とがっくりとうなだれた。



「これが私の感染した『Cウィルス』の症状にゃん……」
幾分、頬を薄く染めながら、ルキアは恋次から視線を逸らしてそう言った。
「語尾がにゃぜか猫のようになってしまうにゃん。あと、『にゃ』と『にゅ』が……にゃとにゅ……む」
眉を寄せてルキアは布団の横の帳面を取り上げた。うさぎかたぬきかわからない生物の絵の横に、可愛らしい文字で「な」「ぬ」と書くと、
「この文字を口にすると『にゃ』『にゅ』ににゃってしまうにゃん」
悲壮感溢れる顔で語るルキアのその言葉に、恋次は俯き、奥歯をぎりっと噛み締める。
―――笑うな、笑うな俺!
今ここで笑ったら確実に殺される。
その点、この恋人はその義兄に驚く程行動がよく似ている。
「さっきはにゃんとかお前と『にゃ』を使わにゃいようにはにゃそうと思ったのだが、『にゃ』にゅきではにゃすのはにゃかにゃか難しいものだにゃ……恋次?」
俯き小刻みに震える恋次に気付いて、ルキアは下から恋次を見上げた。
「わ、笑ったにゃ!?」
「いやその」
「笑った!笑ったにゃ!!酷いにゃ、笑うにゃんて酷いにゃ!!だから会いたくにゃかったのに!!」
にゃああああんと泣き出すルキアに、恋次は「笑ってないって」とルキアを覗き込む。
「笑ってるじゃにゃいか、嘘つき!!」
「いや、あんまりお前が可愛くてよ」
怒ってそっぽを向くルキアを背中から抱きしめて、恋次はルキアの耳に低く囁く。
「膝に乗せていいか?」
「…………………………………いいにゃ」
笑われるのが厭で会うのを拒んで、それでも会いに来た恋次が帰ろうとするのを、その裾を掴んで引き止めたのはもっと居て欲しかったから。
いいと言いながら視線を恋次から頑なに逸らすルキアを軽々と抱き上げて、恋次は自分の膝の上に、向き合う形でルキアを座らせる。
かああ、と赤くなるルキアの頭を撫でてから、恋次は「で、一体なんでこんな病気になったんだ?」と表情を改めて尋ねた。
「昨日、仕事帰りに涅殿に会ったのにゃ。ネム殿にゃん」
「ああ」
「そしたら、涅殿……隊長殿の方にゃ。涅隊長が兄様にお渡ししたいものがあると仰っているので十二番隊に来てくれにゃいかと言われたのにゃ」
「ふむふむ」
「丁重にあんにゃいされて、十二番隊の応接室に通されたのにゃ。そうしたらネム殿がお茶を持って来てくれたのにゃ。喉が渇いていた故、ありがたく頂いたにゃん」
「ほうほう」
「そうしたらすぐに涅隊長が現れたにゃん。それで『これを1時間後にお前の兄に渡すんだヨ』と手紙を渡されたにゃ」
「……」
「きっちり一時間後、兄様に手紙をお渡しして……その時から言葉使いがこんな風ににゃってたにゃん……」
 兄様のあの時の顔が忘れられにゃいにゃん、とルキアは哀しそうに言った。


『涅隊長から兄様へ、手紙をお預かりしておりますにゃん』
 意識せずに自分の口から出たその『にゃん』という言葉にルキアは驚いたが、白哉の驚きはその比ではなかった。
 かつて見たことのない程、白哉は狼狽していた。咄嗟に言葉が出ずに硬直している。
『兄様、私、にゃんかおかしい……にゃ、にゃんかってにゃんにゃんだっ』
 真白になり思わず敬語を忘れるルキア、棒立ちになる白哉。
『兄様、わ、私……こんにゃ言葉を使うつもりは全くにゃいのです……にゃのに勝手に……またにゃ!!にゃんでにゃん!?」
 混乱するルキアと動揺する白哉。何とか平静を取りもどそうと、ぎくしゃくと手にしたマユリの手紙に目を落とすと、白哉は暫く無言でその手紙を読み下した。
『……ルキア、今すぐ四番隊へ行け』
『は、はいにゃん……』
『これは……涅の仕業。卯ノ花に検査を頼むぞ。私も行く』
『はい、兄様……ありがとうございますにゃ』
 うるうると涙で潤んだ瞳で見上げられ、白哉は『う』と呻いた。次の瞬間、ルキアから視線を背け、以後、一言も、何も口にしなかった。


「……兄様は呆れたみたいにゃん。あれから私を見ようとしにゃいし、お言葉もにゃにも掛けてくださらにゃい……」
 じわ、と涙が滲んだ瞳でルキアは恋次を見上げ、恋次は「う」と呻いた。
 可愛すぎる。
 猫語でうるうると見上げられたら、それはもう……凶器だ。兵器だ。最強兵器。
 恐らく白哉も呆れたなどではなく、自分の理性を保つための防衛策だろう。
 ―――絶対あの人の頭の中では今、緋真さんが猫語を話してるだろうな……
 そしてそれはその通りだった。
 現在六番隊で執務中の白哉の頭の中では、片時も忘れることのない愛しい妻の記憶が全て猫語になってしまい、初めて言葉を交わした時の緋真の言葉が『白哉さま、ひさにゃとお呼びください……どうぞにゃまえで呼んでくださいませにゃ』と変換されてしまい、その緋真可愛さが表情に出ぬよう必死に無表情を保っている真最中だった。
 恐るべしCウィルス。
「……でもおかしくねえか?何で涅隊長は自分のやったことだとわざわざばらしてんだ?」
「…………にゃ」
「うちの隊長にそんなこと言ったら―――お前に妙なもの投与したなんてわざわざ伝えたら、普通殺されるってこと誰にだってわかるよな?」
「殺されるっていうのは違うと思うけど……でも確かににゃんでだろう……普通悪いことをしたのにゃらば、秘密にするものだと思うにゃん」
「だろ?何でそんな、自分の行為を……しかも褒められるような行為じゃねえよな?そんなことを自ら広めるようなことをするのか……わかんねえな」
 まああの人の考えることは普段からよくわかんねえけどよ、と言う恋次の腕の中で、「あ」とルキアが声を上げた。
「もうこんな時間にゃ……卯ノ花隊長にお会いしにゃければ」
「あ?」
「今日の検査があるのにゃ。一応、このウィルスに危険はにゃいということにゃのだが、毎日きちんと検査した方が良いと兄様と卯ノ花隊長が仰ってるにゃん」
「何時に約束してるんだ?」
「14時にゃん。あと1時間しかにゃいにゃん。10分前には着いていたいから、もうそろそろ出にゃいと」
「そうか、残念」
「残念ってにゃにがにゃ?」
 ん?と首を傾げるルキアに、恋次は耳元で「猫の喘ぎ声はどんなのかなー、ってな、確かめたかったんだけどよ」と囁いた。
「!!!」
「まあそれは今夜のお楽しみということで」
「変態にゃ!にゃに考えてるにゃ!!」
「お前、自分が思ってる以上にその症状はやばいんだぞ?なんせあの隊長すら動揺させる脅威の可愛さなんだからな」
「にゃに言ってるかわからにゃいにゃっ」
「とりあえず猫の喘ぎ声、聞いとくか。理性飛ぶよなー実際」
「にゃ、にゃにするにゃあ!……ぁっ」
 逃げる間もなく恋次に抱きすくめられ、何度も繰り返される深い甘い口付けにルキアは「にゃあぁん……っ!」と艶めいた声を上げ……その声を何度も上げさせて、恋次は充分ルキアのその可愛さを堪能した。




「……お前の所為で時間に余裕がにゃくにゃったにゃんっ」
 四番隊へ向かう道の途中で、ルキアは顔を赤くしている。それは怒っているのではなくて、ただ単に照れているだけなのだけれども。
 ルキアに付き添って一緒に四番隊へ向かうことにした恋次は、そんな可憐に頬を染めるルキアにくらくらしながら、「お前、この先誰に会っても何も話すなよ」と念を押す。
「当たり前にゃん、こんな状態ではにゃせるか、恥ずかしくて口にゃんてきけにゃいにゃん!」
「いや、恥ずかしいとかじゃなくてな、本当にやばいって……特に男には口聞くなよ?絶対だからな?」
「にゃ?」
 首を傾げるルキアに、恋次は「わかってねえな」と内心溜息を吐く。
 その話し方が何にも勝る武器だと、ルキアは全く気付いていない。
 ―――四番隊隊舎に到着したのは、14時の5分ほど前だった。
 ごったがえす人の波を抜け、恋次はルキアを隊長室へと先導していく。卯ノ花隊長が直々に診る者は限られているから、隊長室へ向かう廊下には、殆ど誰もいなかった。
 ただ、二人だけ。
 手持ち無沙汰に、廊下に立つ人影が二つ。
「あ……」
ルキアの視線の先に小椿と虎徹の姿を認め、恋次は「浮竹隊長が来てるのか?」とルキアに尋ねた。
 身体の弱い十三番隊隊長は、卯ノ花隊長が直々に診察する数少ない患者のうちの一人だ。頷くルキアにもう一度「しゃべんなよ?」と念を押し、挨拶をするために小椿たちに駆け寄るルキアの後に恋次は付く。
「朽木さん、大丈夫?」
心配気に話しかける清音に、すみません、と声を出さずに頭を下げたルキアは、次の瞬間、小椿の「何か涅隊長に飲まされたんだって?」という言葉に驚きの表情を浮かべ、背後の恋次と顔を見合わせた。
この件に関しては、いくら空気感染はしないとはいえ、誤解を受けルキアが謂われない被害を受けないよう、極秘扱いになっているはずだった。
恋次がルキアの被害を知ったのは、浮竹が恋次とルキアの関係を知っていた故に特別に教えてくれたのに他ならない。実際、恋次は白哉からは何も聞いていなかった……これはルキアが白哉に、恋次が心配するから何も言わないで欲しいとお願いした所為でもあるのだが。勿論ルキアが願わなくても、義妹大事、「ルキアに近付く虫は赦さない」の白哉が恋次に何も言わなかっただろう事は想像に難くない。
それがこうも簡単に話が漏れている。
「……その話、誰に聞いた?」
恋次の厳しい表情に小椿は内心息を呑んだが、天真爛漫な清音は「十二番隊の連中が言ってますよー」と明るく答える。
「涅隊長が薬か何か作って、朽木さんに投与したって」
恋次の眉が顰められる。十二番隊の連中が話を広めているならば、その出所はやはり涅隊長だろう。非難を受けかねない自分の行動を、何故こうして自ら広めているのかさっぱり解らない。
「……ねぇ朽木さん、どうしたの?何で何も言わないの?具合悪いの?」
「当たり前だろーがボケ!朽木はワケわかんねー病気にかかってんだよ、具合悪いに決まってんだろーが!」
「うるさいなあ小椿!朽木さん大丈夫?横になる?あ、今、勇音呼ぶから!ちょっと待ってね、ほら私に寄りかかっていいよ!」
「俺が卯ノ花隊長呼んできてやるからな?しっかりするんだぞ朽木!待ってろ、今すぐ……」
「それより直接運んだ方が」
「いや歩くのが辛いなら横になってる方が」
 わいわいと心配する二人の真中で、ルキアは申し訳なさそうな表情を浮かべ黙り込んでいたが、そのあまりの二人の心配振りにルキアの顔が上げられた―――恋次が制止するよりも速く、ルキアは「あの」と声を上げる。
「あの……だ、大丈夫ですにゃ」
ぴたりと小椿と虎徹の動きが止まった。
茫然とルキアを見つめる二人の視線を受け、ルキアは顔を真赤に染めて再び「あの……」と俯いた。
「ルキア!しゃべんなっつっただろーが!」
「だってこんにゃに心配かけてしまって……私が恥ずかしいから、だからしゃべらにゃいにゃんて、そんにゃのお二人に失礼にゃ!恥ずかしいのは私が我慢すればいいことにゃ!」
「そーゆう問題じゃねえっ!!」
「く、朽木……?」
「朽木さん……?」
目を丸くして見つめる二人に、ルキアは真赤になりながら、
「どこも悪くにゃいです、ただ、喋り方が妙ににゃってしまってるだけで……ご心配おかけして本当に申し訳ございませんにゃ!」
 言葉もなく立ち尽くす小椿と虎徹に、ルキアは呆れられた……と身を竦める。
 確かに自分でも莫迦みたいだと思う。
 大の大人が、こんな話し方でいるなんて。
 いくら自分の意思ではないとはいえ、こんな話し方は……良識ある大人は皆、眉を顰めるだろう。
 今目の前にいる、小椿と虎徹のように。
「か…………っ」
「にゃ?」
「かーわーいーいーっ!!何、何どうしたの朽木さんっ!!いやあああ可愛いいっ!!」
 ぎゅうっと抱きしめられて、ルキアは「にゃっ!?」と悲鳴を上げた。その声に更に清音のテンションは上がる。
「いやああっ可愛いっ!!可愛すぎるっ!!にゃんこだわにゃんこっ!!」
「にゃにゃ!?」
 可愛い可愛いとルキアを抱きしめて離さない清音に、恋次は深い溜息を吐くと、視線を小椿へと向けた。その小椿は棒立ちになったまま、顔を真赤にしてルキアを凝視している。
「……おい」
 じろりと睨みつける恋次の視線に気がついて、小椿ははっと我に返ったようだ。水を被った犬のようにぶるぶると頭を振り、とろんとした顔を元へと戻した。
「あ!たいちょー!浮竹たいちょー!!こっち!こっち来てくださーい!!」
 ルキアを抱きしめたまま清音が背後へ手を振る。何とか清音の腕から逃れ出て、後ろを振り返ったルキアの目に、診療が終わったのだろう、浮竹が歩いているのが見えた。浮竹も同時にルキアに気がついたようで、「お」と声を上げる。
「よう、朽木!大丈夫か、具合はどうだ」
 にこにこと処方された薬を手にルキアへと近付く浮竹に向かって、ルキアは「ご心配おかけして申し訳ございませんでしたにゃん」と深々と頭を下げる。
「…………………」
 浮竹の動きが止まった。
 呆然とルキアを見つめている。
「く、朽木……?」
「あの、にゃんか変にゃはにゃし方で申し訳ございません……その、わざとではにゃいのです、あの……にゃ!?」
 まるで夢遊病者のようにふらふらとルキアに近付いた浮竹は、
 そのままがばっとルキアを抱きしめた。
「ああああああ―――――っ!!!!」
 絶叫する恋次にも硬直するルキアにも気付かず、浮竹はルキアの小さな身体を抱きしめて「朽木……!」と呟いた。
「う、浮竹隊長?あの、どうにゃさったのですか?具合が悪いのですか、にゃんっ」
「何してんすか、ちょっと!!」
 抱き合った状態のルキアと浮竹を無理矢理引き剥がすと、恋次はルキアを自分の背後へ庇い目の前の浮竹を睨みつけた。こんな際に上司も部下もない。恋人が目の前で違う男に抱きしめられれば、それは誰だって怒るだろう。
「あ……あ?」
 夢から覚めたように、浮竹は目をぱちぱちと瞬たたせた。目の前の怒り満面の恋次と、その背後に庇われた、驚きの表情のルキアを見て「あれ?」と首を傾げる。
「俺、今何をしてた?」
「ええと……その」
「あの……きっと浮竹隊長はお疲れなんだと思いますっ」
 衝撃から何とか一瞬で立ち直った小椿と清音の答えに浮竹は、
「そうか……自分でも何だか熱っぽい気がするな……悪いな朽木、阿散井。ちょっと家で休んでくるから……」
 ふらふらと廊下の壁にぶつかりながら去っていく十三番隊隊長と第三席二人の背中を見送って、恋次は「ほら見ろ」と腕を組んでルキアを見下ろした。
「だから喋るなって言っただろーが!!」
「にゃにが起こったのか全くわからにゃいにゃん……」
 呆然と浮竹たちの消えた方角へ目をやるルキアに、「だからいいか、絶対に他の奴らと口をきくなよ?」と念を押し、うん、と頷くルキアを見て安心し……その背後から近付く人影に気付き「げ」と呻いた。
「最悪だ……一番会いたくない奴同率首位がツートップで来やがった……」
 頭を抱える恋次に、ルキアは「にゃ?」と首を傾げる。自分の背後にいるのが誰か確かめるよりも早く、
「朽木ー!やっぱり此処だったのね、そうだと思ったわ!」
「どうしたお嬢さん、具合悪いそうじゃねえか」
 明るい男女の声がして、もう一度「最悪だ……」と呟く恋次の声が、白い壁に反射して消えた。




「何か涅隊長に盛られたんだって?大丈夫なの、朽木?」
 豪奢な金色の巻き毛を揺らして尋ねる十番隊の副隊長に、恋次は「大丈夫です」とルキアに代わって言った。
「特に問題はありません。ご心配ありがとうございます、でも大丈夫ですから」
「何でお前が答えるんだよ。過保護な奴だな、相変わらず」
 九番隊副隊長、隊長不在の現在は実質隊長職をしている檜佐木修兵を、恋次はじろりと睨みつける。
「ルキアは今、口が聞けないんです。だから代わって俺が話してるんですよ」
「ふーん?そうなの、朽木?」
 ちろりと流し目で見る乱菊に、ルキアは無言でぶんぶんと首を縦に振る。
 何だか、怖かった。
 恋次が「最悪だ」と言った意味は良くわからなかったけど。
 二人とも素晴らしい先輩だと知っているけれど。
 そう―――ルキアは知らなかった。
 この二人が、恋次とルキア―――主として恋次―――をからかうことが大好きだということを。
「へーえ、そうなんだあ。―――檜佐木!」
 乱菊の掛け声と共に、恋次の目の前から修兵の姿が消える。虚を突かれてたたらを踏む恋次の背後に一瞬で回りこむと、修兵は後ろからがっちりと恋次を羽交い絞めにした。
「なっ!何すんすか、ちょっと!!」
「私たち、さっきあんたたちが会話してる姿、向こうから見てるのよねー。声は聞こえなかったけれど、朽木の唇はちゃんと動いてたわよ?何で嘘吐くのかなー?」
「う、嘘じゃないですってば!ちょっと、何すんですか松本サン!!」
「本当に話すことが出来ないの?ルキアちゃん?」
 突然姓から名前で呼ばれ、ルキアはただ声もなく頷くことしかできない。恋次がダメだと言ったから、ではなく、恐怖を感じて、である。
「ふーん、そうかあ。じゃ、話したくなるようにしちゃおーっと」
 ふふ、と笑みを浮かべて乱菊は恋次の頭を抱きかかえた。
「ルキアちゃんが本当のこと言わないと、恋次を抱きしめちゃうわよ?」
「ちょ……っ!!」
「さ、いらっしゃい」
「ちょっと、松本サン!先輩、ちょっと放してくださいよ、ちょっと、うわ、うわ……!!」
 恋次の目の前に、乱菊の形の良い胸がせまる。
 逃げようにも背後から修兵ががっしりと身体を固定しているために逃げることが出来ない。視線を背けようとしても、乱菊の白い指が恋次の両頬を挟んで背けることが出来ない。
「窒息させてあげるわよ?」
 目の前に、護廷十三隊の男共が憧れて止まない、白いやわらかそうな……
「う、わ」
 恋次の顔が赤くなった。
「――――ふざけるにゃ、恋次のド助平ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「―――――――え?」
 乱菊と修兵の動きが止まる。
 先の三人と同じく。
 呆然と。
 愕然と。
 ルキアを見つめ、動きが止まる。
「にゃにしてるにゃあああああああっ!!!!!」
「く、朽木?」
 そのあまりの迫力に、檜佐木は固定していた恋次の身体を解放した。その勢いで、恋次の身体は乱菊に倒れこむ形になり、ぽふと恋次の顔は乱菊の胸に埋もれる。 
「あらやだ」
「恋次の莫迦ああああああ!!!お前にゃんかだいっ嫌いにゃ!!!!」
「俺は不可抗力だろうがどう見ても!!」
「はにゃのした伸ばして最低にゃ!!恋次の助平!変態!!」
「な、なんだとコラ!」
 憤慨する恋次の身体をずいっと押しやって、乱菊はルキアの前に立つ。
「にゃ……」
 緊張するルキアを、乱菊は「可愛い!!」と抱きしめた。
「ちょっと朽木、なあにその愛らしさ!!猫だわ!猫!!やだ、どうしよう可愛いっ!!」
「く……苦しいにゃ……」
「……どうしたんだよこれは」
 茫然とルキアを眺める修兵に、「これが症状なんですよ」と溜息を吐く。
「猫語を話す病気かよ?」
「はあ、まあ」
「……ふうん」
 にやりと笑う修兵に、恋次は「ルキアに手ぇ出さないでくださいよ?」と噛み付いた。
「いや、自信ねえな。嬢ちゃんにあのオプションはまずいだろ、実際」
「……浮竹隊長が壊れました」
「だろうな」
 男も女も全て狂わせるCウィルス。
 いや、狂わせるのはルキアの所為か。
 ルキアだからこその破壊力だった。
「とにかく卯ノ花隊長に……あれ?朽木隊長」
「なんなんだもう次から次へと……」
「何か言ったか恋次」
 静かに歩を進める白哉の姿に、恋次たち四人は居ずまいを正す。ルキアもようやく乱菊の胸から解放されて、小さく咳き込みながら「兄様……にゃ」と不思議そうに白哉を見上げた。途端、白哉は「う」と僅かにたじろぐ。
「卯ノ花に診てもらったのか、ルキア」
「あの、これからです……あの、兄様は如何して此処に?何処かお身体の具合が悪いのですか、にゃん」
 それへは答えず(ルキア以外の三人には何故ここに白哉が居るのか正確に理解していた)、白哉は恋次へ冷え冷えとした視線を送り、「何故お前がここにいるのだ」と視線と同じ温度の声色でそう尋ねた。
「何故お前がルキアと共にここにいる」
「その、ルキアが心配で……一緒に来ましたにゃん」
 ずざざざざざざざざざざざざざざ。
 一気にその場の皆が引いた。
 当の恋次でさえ。
「うわ、きもっ」
「何よ恋次、やめてよ気持ち悪い」
「恋次、お前の悪趣味は知っていたが、あまりにもそれは悪趣味すぎるにゃ」
「………………(絶対零度の視線)」
「あれ?にゃんでだ?うわ、ちょっと待て!にゃんで俺の言葉が……気持ち悪ぃ!にゃんにゃんだこれっ!」
 恋次のそのあまりのパニック振りに、それが恋次の悪ふざけではないと知り……ルキアの顔が蒼褪めた。
「……感染、してるにゃ!」
「え?だって感染はしないって……」
「でも恋次が感染してるにゃ!ど、どうしよう!恋次、恋次……大丈夫か、気をしっかりと持つにゃん!」
「俺、卯ノ花隊長呼んでくるわ」
「その必要はありません」
 背後に勇音を従え、白い百合の花のような凛とした美しさを持つ四番隊の隊長が、目の前の扉から現れた。
「お待たせしましたね、朽木さん。どうぞ中へお入りなさいな」
「いえ、あの、私より恋次を……!恋次が感染してるんですにゃ!!にゃんでですか、感染はにゃいって……!」
「え?……本当?阿散井くん」
「はい……本当ですにゃ」
「あら、まあ」
 驚いたように目を見張り、卯ノ花は口元を手で押さえた。そんな仕草は、卯ノ花をまるで少女のように見せる。
「感染はしないのではなかったのですか?卯ノ花隊長」
 自分が猫語を話すことになるのではと、内心戦々恐々としながら修兵がそう尋ねると、「感染はしますよ?」と卯ノ花はにこりと微笑んだ。
「空気感染は致しませんが」
「ええと……つまり?」
「性的感染はしますね」
 …………桜の花弁が。
 ひらりひらりと何処からともなく現れて、その数を増やしていく。
「してにゃいしてにゃい!!隊長、斬魄刀にゅくの止めてください!!してにゃいですから!!」
「あと、経口感染……唾液の交換などすればもう完璧に感染です」
「「……………あ」」
 恋次とルキアが同時に呟いた。
 桜の花弁が、瞬時に一気に廊下を埋め尽くした!
「うわああああああ!!隊長、ちょっと、ちょっと待った!!ちょっ、マジじゃにゃいですか、あぶにゃいって、あぶにゃいから、隊長!!落ち着いてくださいにゃ!!」
「さ、ルキアさん中へどうぞ」
「え、あの……でも、にゃ……」
「あの二人は放っておきなさい。喧嘩するほど仲が良いのです」
「そ、そんにゃにゃごやかにゃ雰囲気にはみえにゃいのですが……」
「丁度この建物を建て替えたいと思っていたのです。後ほど朽木隊長に請求書を送りましょう。存分に壊していただかねばね」
 ふふ、と少女のように卯ノ花は笑う。勇音は諦めたように溜息を吐き、「朽木さん、危ないから中へ入った方がいいわ」と手招きした。
「じゃ、俺たちはこれで」
「朽木、恋次、お大事にね」
「ちょっとちょっとあんた達!助けてやろうとか思わにゃいのか、人非人!!」
「がんばれ恋次ー」
「ふぁいと恋次ー」
 ひらひらと手を振ってさっさとこの場を後にする修兵たちの背中へ、「待ってくれにゃあああ!!」と叫んだ恋次の声は、直ぐに桜の花弁に埋もれて消えていった。









「―――マユリ様、お手紙です」
 ネムが手にしたその手紙の量は半端ではない。大きな箱に溢れんばかりに積んである。
「ふん、どうやら広告は効果があったようだネ」
 一番上の手紙を手にとって、マユリはピッと封を切った。
「『Cウィルス購入希望。10回分』―――随分買うネ。まあ別に構わないがネ。売れれば売れるだけ、新しい研究が出切るというものだヨ」
「流石です、マユリ様」
「ふん、研究費が削減されるなら自分で用意するだけだヨ。全く技術開発こそ金を掛けるべきものだというのに、どいつもこいつも全くわかってないネ」
「その通りです、マユリ様」
「それにしても朽木ルキアを被検体に選んだのは成功だったネ。アレが出歩いてくれた所為でこの効果だヨ。アレは何故か男共に受けがいいからネ、あっという間に口コミでCウィルスの特徴が広がってこの利益だヨ」
「完璧です、マユリ様」
「かかった費用は、朽木ルキアに投与したCウィルス一回分と朽木白哉に宛てたCウィルスのチラシ一枚分の値段だけだネ。それでこの効果。我ながら素晴らしいと思うヨ」
「素晴らしいです、マユリ様」
「効果は結局3日だったか……あとの課題は感染から発症までの時間を短くすることと、効果を数時間程度にすることと、人から人への感染を完全になくすことだネ。男共がにゃんにゃん言うなんて耐えられないネ、気色悪い」
「仰る通りです、マユリ様」
「さて、お前はさっさと商品を発送するんだヨ、わかったネ?」
「畏まりました、マユリ様」
 






 ―――かくして、尸魂界はしばらく猫語が氾濫することとなる―――










猫バトンを空宮さんから受け取って、それで答えた猫バトンから火がついて一気に書き上げたもの。
因みに猫バトンとは

・これが回ってきたら次に書く日記の語尾すべてに「にゃ」「にゃん」「にゃー」等を付けなくてはならない。
・「な、ぬ」も「にゃ、にゅ」にすること。
・一人称は必ず「我輩」にすること。
・日記の内容自体は普段書くような当たり障りのないもので構わない。
・日記の最後に5人回す人の名前を記入するのを忘れないこと。
・既に回されたことがある人でも回されたら何度でもやること。

というルールになります。
これでにゃん語にはまってしまい、これが出来たのでございました。

猫後ルキア、最強です。
感想もものすごい数いただきました、ありがとうございますv
皆さん猫語がお好きなようです、うふふふふ。


2007.3.3 拍手UP
2007.3.9 ノベル部屋収納