自分に向かって真直ぐに歩いてくる少女に、一護は驚いて足を止めた。
 この現世で見かけるはずのないその少女は、何故か空座高校の制服を着て、確かにそこに存在している。
「お久しぶりです、黒崎さん」
 深々と頭を下げる少女に、一護は「あ、ども」と反射的に礼を返していた。
「何で現世に?」
 その問いに目の前の少女、義骸技術の粋である涅ネムは薄く頬を染め「雨竜に会いに…」と小さく呟いた。
「でも今は、黒崎さんにお会いすべくこちらに参りました」
「俺?」
 驚く一護の前に、ネムは制服の胸ポケットから小さな包みを取り出した。透明なビニールに包まれたそれは、中にいくつかの錠剤が見える。
「これをどうぞ」
 以前お世話になりました御礼です、とネムはもう一度深々と頭を下げる。
「薬?」
「はい、マユリ様が開発された新製品です」
 それを聞いた途端一護は回れ右をしてその場を立ち去ろうとしたが、続くネムの、
「こちらを服用しますと、服用した者は猫の耳と尻尾が生えてきます」
 その言葉にぴたりと足を止めた。
「…猫耳?」
「しかも猫語です」
 真顔でそう言うと、ネムは「どうぞ」と薬を一護に差し出した。反射的に受け取ってしまった一護は、「いやいやいや」と首を振る。
「あんた達には無害でも、人間には害があるかもしれないだろ。そんなもの口にしたくないし」
「大丈夫です。既に人体実験は済んでおります」
 見慣れた無表情でネムは言う。
「雨竜で」
「…石田?」
「堪能させていただきました」
 うっとりとネムは目を瞑り、両手を頬に当て頬を染める。
「という訳ですので、どうぞご安心ください。効果は3時間。媚薬成分も含まれてますので存分にお楽しみください」
「媚薬っておい…」
「…雨竜でさえ、それはもう」
「い、石田でさえ!」
 それでは、と上品に頭を下げ帰っていくネムの後ろ姿を見つめ、一護は「いやいやいや」と首を振る。
「こんなもん邪道だって。使う訳ねーだろ、いくら俺でもそのくらいの分別はあるっての。ありえねーマジで。マジありえねー」











「何よ、急に呼び出したりして」
 勝手知ったるで一護の部屋まで案内なしで入って来たたつきに、一護は「悪ぃな」と返事を返す。
「いや、ここんとこ授業に出てねぇから内容がよくわかんなくてよ。ちょっと教えて欲しいんだけど」
「あんたならひとりで大丈夫な気がするけど」
「そんな冷てぇこと言うなよ」
 その辺座っててくれ、と言い置いて一護は部屋を出て階下へと向かう。
 誰もいない台所でポケットからビニール袋を取り出すと、一護はカプセルを割り、中の粉末を用意したグラスの中にさらさらと投入し、更に冷えたオレンジジュースを注ぎ、くるくると掻き混ぜる。
「……認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを」
 どこぞの赤い彗星の台詞を口にし、一護はトレイに載せたグラス二つを持ち部屋へと戻る。
「ほら」
「ん」
 ありがと、と素直にグラスを受け取り、喉が渇いていたのだろう、一息にグラス半分ほどを飲み干して、たつきは「じゃ、さっさとやるわよ」と教科書を開いた。
「で、どこがわかんないの?」
「ああ、俺が休んでた間の数学……の……」
 絶句する一護の、茫然とした顔にたつきは訝しげな顔をする。
 自分の頭の方を見つめているその視線に、背後に何かあるのかと振り返ってみても、そこにあるのは見慣れた一護の部屋の壁。
 一護の顔に視線を戻しても、相変わらず一護の顔は茫然としている。
「にゃによ、一体にゃにがあるって―――え?」
 自分の口にした言葉にたつきは驚く。
「にゃ、にゃにこれ?え?にゃに?にゃんにゃのよ!!」
「頭―――」
「頭?」
 反射的に頭に手をやったたつきは次の瞬間真青になり、がばっと立ち上がると壁に掛けられた小さな鏡の前へ駆け寄った。
「にゃんにゃのよこれは!!!」
 ぴょこんと生えた猫の耳。
「……うわ、本物だよ……」
 一護の感動の声は、幸いにもパニックを起こしているたつきの耳には届かなかった。
「いや!にゃにこれ!」
 混乱の極みにあるたつきに、一護は「たつき、落ち着け」と肩に手を置いた。振り返ったたつきの泣きそうな顔に、一護の良心は痛む。
 だがそれも一瞬、目の前に揺れる猫耳に心を奪われた。
 可愛い。
 可愛いなんて言葉では足りないほど、可愛すぎる。
 男の夢が今現実に。
 リアル猫娘!
「おちつけって、そんにゃこと言ったって!」
 頬を染める一護の不審な状態にも気付かずに、たつきは常になくうろたえていた。それはそうだろう、いきなり自分の頭に耳が生えたら、あの朽木白哉だってうろたえるというものだ。
「大丈夫だ、これは病気だから」
「病気?」
「俺も症例を見たのは初めてだけどよ……親父に聞いたことあるんだ、突然猫耳と尻尾が生える病気。今、流行ってるんだってよ」
「そうにゃ……の?って尻尾!?」
 ばっと己の身体を振り返り、たつきは更に悲鳴を上げた。
「にゃあああ!見るにゃ一護!!」
 尻尾が短いスカートをめくり、一護の目に白い色を映す。その白さに一護の頬は逆に赤くなった。
「とにかく診るから、ちょっとそこ座れ」
「うううううう……」
 涙声でたつきはぺたりと床に座った。その背後に立ち、一護はたつきの猫耳をじっと見つめる。
 黒い髪の毛と同じ、黒いやわらかな毛に覆われた三角の耳。
(うわ……)
 感嘆の声を上げ、一護はそっと猫耳に触れた。途端、たつきの口から「にゃあんっ」と色っぽい声が洩れる。
「た、たつき?」
「にゃ、にゃんでもにゃい」
 自分の声に真赤になって、たつきは俯いた。そんな声を上げるつもりはなかったのだが、一護が猫耳に触れた途端、今まで体験したことの無い感覚が突き抜けたのだ。
「媚薬って本当だったんだな」
「にゃに?」
「いや、何でも」
 再び一護はたつきの猫耳に触れてみる。今度は声が洩れる事は無かったが、尻尾がふるふると震えていた。否、尻尾だけではなくたつきの身体が小刻みに震えている事に気付いて、一護は息を呑む。
 たつきの顔は赤く、何かを耐えるかのように目を瞑り俯いている。
 その顔はあまりにも色っぽく、―――一護の脳髄とある部分を直撃する。
 変形しそうな身体の一部を堪えつつ、更にと一護は耳に触れた。
「やっ……ちょっと一護、あんまりさわんにゃっ」
「触んなきゃよくわかんねえだろ」
「そ……そうだけど」
 ふに、と耳を掴んでみる。びくんとたつきの身体が震えた。吐く息は荒く、熱い。
(うわ―――やべ)
 理性が吹っ飛びそうだ。
 元々、16歳という性春真っ盛りな時期なのだ、好きな少女のこんな姿を見せられて耐えられるはずが無いのだ。
 幸い、親父は診療中。
 遊子と花梨は外で遊んでいる。
「一護?」
 空手という空気の流れを読むことに長けた格闘技を身に着けているたつきは、背後の不穏な空気に気付きかすれた声を上げる。
「たつき―――」
「ちょっ……や、一護……っ!」
 背後から抱きしめられたたつきは、逃れようと身体を捻る―――が、媚薬の影響下にあるたつきの身体には力が入らない。
「たつき―――たつき!」
「や……っ!」
 床に押し倒され、小さな悲鳴を上げたたつきに、一護は更に興奮する。初めての性急さで、たつきのシャツの裾をめくりあげる。
「一護……」
 普段の強気なたつきは影を潜め、怯えたように自分を呼ぶ声と、初めて見るたつきの白い肌に我を忘れ、一護の右手はたつきの胸に触れ、思いのままに唇を奪おうと、たつきの頭を抱え寄せる。
「一護!いるんだろ、一護!!勝手に上がるぞー」
 突然耳に入った聞きなれたその声と、階下で玄関の扉が開く音が、二人の動きを凍りつかせた。
「恋次!?」
「いや……あたしこんにゃ姿、人に見られたくにゃい!」
「と、とりあえず隠れろ!」
「どこへよ!?」
 無言で押入れの扉を開ける。たつきも何も言わずとんと床を蹴ると身軽に、猫のように押入れの中へと飛び込んだ。短いスカートが跳ね上がる。
「見るにゃ、バカ!」
 見事な足が見事な蹴りを一護の顎にヒットさせ、一護は仰け反った。
「一護!―――あ?何で顔押さえてんだよ」
「うるせえ」
 折角の桃色雰囲気をぶち壊されて、一護の目はいつも以上に険悪だった。「何だよ」と不機嫌そうに恋次を睨みつける。
「なんだお前、欲求不満か。童貞はしょうがねえな」
「脱却のチャンスを潰したお前が言うな!!」
「はあ?」
「うるせえ、だから何だよ?用がねえなら帰れ」
「まあまあ、いい物やるから機嫌直せ。童貞のお前に優しい先輩の俺からプレゼントだ」
 ふふふ、と笑いながら恋次は胸ポケットからビニール袋を取り出した。
 見慣れた錠剤。
「お前、それ―――」
「これはな、今、尸魂界で滅茶苦茶流行ってる薬なんだけどよ。これを飲んだやつの頭には―――」
「恋次、ちょっと待て、それ以上言―――」
「猫耳が生える!!!」 
 うわ、と頭を抱える一護に気付くことなく、恋次は得意気に「しかも尻尾・猫語付き!媚薬成分まで入ってるという至れり尽くせりの効能!」と話し、その次の瞬間、ばんっとものすごい音を立てて押し入れの扉が開いた。あまりの衝撃に、襖がひしゃげている。
「な、なんだ!?」
 ぎょっと音の方向を向いた恋次の目に映ったものは、頭に耳を生やした、制服を着た一人の少女。
「いいいいいいちいいいいいいごおおおおおお」
 この世のものとは思えないほどの恐ろしい声を聞き、恋次は全てを理解した。
「あ、俺、ちょっと用思い出した。じゃな、一護!生きてたらまた会おうな!死んだら俺が尸魂界に魂葬してやるからな!」
 さっさと逃げ出す恋次の言葉を聞く余裕はなく、一護はじりじりと後ずさる。
「た、たつき、あのな、その、ちょっと落ち着け、な?」
「……紐なしバンジーやるくらいの覚悟でいなさいよ?」
「それってつまり死ぬ覚悟じゃねえか!」
「当たり前よ、このバカ!!!!」
 その後の一護の生死はようとして知れない―――。