「愛と恋とはどう違うのだ?」
 昼休みの屋上、突然そう尋ねたルキアに、その場にいた吉良と雛森と恋次は顔を見合わせた。
「また何を突然」
 胡散臭そうにルキアを見遣る恋次を無視して、ルキアは雛森に「雛森殿はわかるか?」と尋ねる。
「うーん、よく聞くのは『愛は真心、恋は下心』かなあ」
「何だそれは?」
「ん?ほら、『愛』の漢字は真中に心があるでしょ?だから『真心』。『恋』は下に心があるから『下心』。そういわれてるんだ」
「ふむ、言い得て妙だな」
 ちらりとルキアは恋次を見遣る。
「確かに恋の字の付く誰かは下心満載だからな」
「なななな何を仰るうさぎさん!」
「声が裏返ってるよ、阿散井くん」
「うるせえイヅル!ルキア、それは誤解だ!全くの誤解、完璧な誤解、あからさまな誤解、完膚なきまでの誤解、釣り餌はゴカイ」
「最後がわからぬ」
「いやそれは置いといてだな、俺の心は清廉潔白、下心満載なんてとんでもない!俺はいつだって真心満載だぞ。真心を君に」
「必死に弁明するところが怪しいのだが」
「これは弁明じゃなくて解説だ、俺という男の。それにだ、よし、仮に『恋』が下心を表す漢字だとしよう、しかし俺の名には『次』が付く。つまり『下心は二の次』、このように解読できると思うのだが如何」
「いかがと言われてもだな」
 ふむ、とルキアは考え込み、「まあ、そういうことにしておこう」とこの話を切り上げた。元々、愛と恋の違いを何となく知りたかっただけなのだ。ただの思いつきで口にした話題だったので、深い意味は無かったのだから。
「それよりも来週の試験の方が問題だったな」
「ああ、やばいよな……」
 その恋次の言葉にルキアは黙って肩をすくめる。一組と二組ではプレッシャーが違うという事を弁えているのだ。
「そうだ、ルキア。放課後、ちょっと付き合ってくれねえか?」
「ん?」
「俺、鬼道は苦手なんだよ。系統付けて考えられなくてよ……お前、鬼道の点数良かっただろ?だからちょっと教えてもらおうかと思ってな」
「別に構わぬが……」
「あ、じゃあ僕たちも……」
 イヅルの言葉が途切れたのは、物凄い目付きで睨む恋次の視線に気付いたからだ。ひい、と息を呑んだイヅルは「いや、何でも……」と冷たい汗をかきながら横を向いて恋次の凄まじい圧力をやり過ごす。
「じゃ、放課後、いつもの裏の丘でな。待ってるからな、忘れんなよ?」
「お前こそ私への礼を忘れるなよ?白玉と鯛焼きだからな」
「へいへい」
 丁度そこに昼休み終了の鐘が鳴り、恋次たちは立ち上がって午後の授業を受けに、教室に向かって歩き出した。





「つまり、縛道と破道、どちらも順番には意味がある……ただ無造作に一から数字が割り振られている訳ではないのだ。その法則を理解すれば自ずと頭に入っていく……」
 ルキアの、女性にしてはやや低い声が、真央霊術院の裏の丘に流れていく。
 ここはよく恋次とルキアが利用する場所だ。校舎から離れているその場所は、他の生徒達が来ることは滅多になく、また緑豊かなこの場所を、ルキアは特に気に入っていた。どこか戌吊の家を思い出すような雰囲気なのだ。
 その懐かしい景色の中で、ルキアの白く細い指が、鬼道の教科書をめくっていく。 
「詠唱は即ち集中を高めるためにある。より高度な使い手は、詠唱を省略して発動する事ができる。まあ私達にはまだ無理な世界だが……」
 風が二人の側を通り過ぎていく。人の気配はなく、二人だけの静かな時間がただ穏やかに流れていく。
「今回の試験は、恐らく『破道』中心だと思う。焔、雷撃、氷雪、風、得意なものを選ぶといいのだが……お前はどの系統が得意なのだ?」
 尋ねた言葉に返事はなく、ルキアは「恋次?」と訝しげに恋次を見る。
 隣にいる恋次は一緒に教科書を覗き込んでいるはずだったが、何故かその目は熱くルキアを見つめている。
「お前、ちゃんと聞いてるのか?」
 その言葉が終わらない内に、ルキアは恋次が身体の向きを変えるのを見た。そのまま恋次はルキアの肩を掴んで押し倒す。そのあまりの素早さに、ルキアは恋次の力の加えるままに、緑の草の上にころんと転がった。
「ルキア!」
「……こんな体勢じゃ勉強できない」
 むっと顔を顰めるルキアに、恋次は「できたら違う勉強をしてえな、俺」とルキアの耳元で囁いた。
「違う勉強?」
「恋のえーびーしーとか」
「……やっぱり下心満載じゃないか」
「下心なんかじゃねえ!!これが恋する男の本心だ!!好きな女と二人きりで勉強するって言ったら昔からこっちのお勉強に決まってるだろーが!!」
 怒り出すか、と思っていたルキアは、恋次の予想に反して全く怒りの表情を浮かべてはいない。逆に、見間違いようもない喜びの表情を浮かべ、恋次に押し倒されながらルキアは「うん」と頷いた。
「私もずっと待っていたんだ。今日、お前が二人きりで勉強をすると言った時に、こうなる事を期待していた」
 頬を染めてそう呟くルキアに、恋次はぱあっと表情を明るくした。
「ルキア……!」
 感極まってルキアの唇に己の唇を重ねようとしたとき、恋次の腕の中でルキアが、甘く、この上なく甘く囁いた。
「……縛道の九、撃!」
 途端、恋次の身体は目に見えない紐で雁字搦めにされたように動けなくなった。堪らず地面に倒れこんだ恋次の横で、ルキアがゆっくり立ち上がる。
「こら、手前、ルキア!何しやがる、解け!」
 ぎゃーぎゃー騒ぐ恋次を上から見下ろして、ルキアはにこりと微笑んだ。
「お前が今日、二人きりで勉強をと言い出した時、こうなるだろうとわかっていたのでな、私もお前が不埒な行為をするのを今か今かと待っていたんだ」
「どーいう事だ!俺はMの気なんざねーぞ!どっちかって言やあSだ!こら、解け!しかも何気に詠唱破棄しやがって!何が『まあ私達にはまだ無理な世界だが…』だ!」
「いや、以前から実際に破道を使ってみたいと思ってな?いやあ、お前がけしからぬ行いをしてくれて助かったぞ、これで心置きなくお前相手に発動できるからな」
「ちょっ、お前まさか……」
「ふふふ、色々試させてもらうぞ?試験も近いことだしな」
 楽しげに笑うルキアの笑顔を、恋次は血の気の引いた顔で眺めるしか出来ず、そんな恋次にルキアは、「お前も下心を持ってこの場に現れたと思うが、私も下心を持って此処に来たのだ」と、それはそれは艶やかに微笑みかけ、恋次はこの状況の中、思わずそのルキアの美しさに目を奪われ―――
「では、始めるぞ恋次!がんばって耐えるのだぞ!」
 楽しそうに教科書をめくるルキアの紛れもないSッ気に、思わずMに開眼しそうな恋次だった。