「夜一さま……」

 何度も耳にした記憶に残るそれは、大抵困ったように私を呼ぶその声だ。
 それは私がそれだけ幾度もあれを困らせたという証拠に他ならない。
 私も、生真面目なあれが困るのを楽しんでいたきらいがある。
 真直ぐで。
 ひたむきで。
 からかうとすぐに赤くなる、その顔を見るのが好きだった。

 家柄や格式を重んずる一族の者よりも、余程近しい想いがあった。
 血の繋がった者達よりも、私には大切だった。
 あれの想いの強さと力の強さ。
 大切だと、確かに思っていた。
 ……愛しい、と。
 何物にも捕らわれた事のなかった私が、初めて、そう思った。



「いいんですか、夜一サン」
「何がじゃ?」
「何も言って来ていないんでしょう、あのお嬢サンに」
「…………」
「まだ時間はありますよ?夜一サンなら……“瞬神”夜一なら、大した時間は必要ないでしょう。今伝えないと――お嬢サンともう会う事はないかもしれませんよ?誤解をされるのは辛いでしょう」



 このまま行けば――何も言わずに姿を消したのならば。
 あれは私を恨むだろう。憎悪するだろう。激しく燃える火のように、いつまでもその火は消える事無く――私を憎み続けるだろう。


 けれど―――全てを伝えたのならば?


 あれは私と共に来るだろう。家を捨て、地位を捨て、何もかもを無造作に、何の躊躇いもなく投げ捨てて。
 私の為に。
 私と共に在る為に。



 解っているから―――出来る筈などない。
 私の為にあれを咎人にする訳にはいかない。
 大切なのだ―――どうしようもなく。
 初めて囚われた、あの強い眼差しが。


 何があれにとっての幸せか。
 恐らくそれは、私と共に在るという事だろう。
 しかし私は。
 私のエゴで。
 ―――お前を傷つける。
 お前を罪人にしたくないという、私の我儘で。
 大切だから。
 ―――愛しい、から。


「―――詰らぬ事を言うな。そんな些事で大局を見失う儂ではない」


 行くぞ、と告げて私は後を見ずに走り出す。
 一呼吸置いて、喜助も後に続くのが解った。



 恐らく此処に戻る事はもうないだろう。
 お前に逢う事も。
 お前の声を聞く事も。
 お前の眼差しに射抜かれる事も。


「最後まで、お前を困らせてばかりだ―――」


 もう二度と呼ぶことないその名前を、最後に呟く。
 小さく呟いたその声は、すぐに風に乗って消えた―――。  









夜砕。完全な夜砕(笑)夜一さん別人。

タイトルが「達者でな」って……(笑)明るめなタイトルなのにこの真面目さ。
「元気で」という意味で取ってください。だって「達者でな」なんて言うキャラ思いつかなかったんだもん(笑)