1928(昭和3)創業、数え切れないほどの作家や写真家が出入りした有名店『BARルパン』。

 今回お話を伺うのは、40年間カウンターに立ち、『BARルパン』の歴史を紡いでおります、齋藤哲子さんです。

ルパンで働き始めた当時と、今の銀座の違いを教えて頂けますでしょうか。 

私が働き始めたのは昭和50年代ですが、BARは今ほど軒数もなかったですよ。クラブは元気でしたね。景気も良かったですし。たまにお店終りに若手のバーテンダーと飲みに行ってましたねえ。その時の若手たちは今では随分立派になったわね。

 今までで一番印象に残っているお客様のお話をお伺いできますか。

「林忠彦さんね。よくお会いしていたのは『東海道』を撮っているとき。作家の先生や写真家の方が多かったのは、このビルのすぐ横が文藝春秋だったのよ。出版関係者が打ち合わせに使ったりしていたので、忙しすぎて、お一人につきっきりでお話があまり出来なかったのよ。 

お仕事でいつも心がけていること、そして、長くカウンターに立つ秘訣を教えて頂けますでしょうか。

最近はBARに馴染みのないお客様が増えて、もうちょっと静かにしてねっていつも言うのよ。キャップを被っていたり、マスクをしていたら、店内では外しなさいね、とか。サンダル・ランニングシャツの方はその場でお帰りいただくわね()。最低限のマナーは身につけてもらわないと。

長くカウンター立つ秘訣は、お客様と喧嘩しないこと。優しさが一番よ。




2019年5月号のGSK(銀座社交料飲協会)の会報でルパンのバーテンダーが紹介されました。

銀座にこの人有り 『BARルパン』

齋藤哲子