COLUMN
1928年(昭和3年)という年は…


◎少し前ですが・・・・
1927年
(昭和2年)
地面の下を電車が通る。(12月30日)
東京地下鉄道株式会社が上野〜浅草間にアジア初の地下鉄、 (現在の東京メトロ銀座線の一部)を開業。
◎1928年になって・・・・
1月 大相撲春場所が初めて実況放送。(1月12日〜22日)
同時に仕切り線、制限時間が導入。この場所の優勝は大関・常陸岩。
2月 サンモリッツ(スイス)第二回冬季オリンピック開催(2月11日〜19日)
日本はスキー選手6人で冬季初参加。メダル獲得はならなかった。
第16回衆議院議員選挙(2月20日)
初の納税額による制限のない、「普通選挙」による総選挙。
政府は野党、とくに無産政党候補者にきびしい選挙干渉と弾圧を加えた。
3月 マネキン・ガール誕生(3月24日)
高島屋呉服店が東京・上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会で 日本初のマネキンを登場させた。
人形ではなく人すなわち「マヌカン」だった。 「招金」に通じることから、フランス語のマヌカンではなく英語のマネキンを使った。
4月 3・15事件公表(4月10日)
3月15日未明に警察当局は秘密裏に全国の共産党員と その同調者ら1568人を一斉に検挙・勾留し、
486名を治安維持法違反で起訴。徳田球一、野坂参三、志賀義雄らが検挙された。
この日政府は初めてこの事件を公表し、労農党ほか二団体を 共産党の影響下にあるとして解散に追い込んだ。
5月 人見絹枝、女子陸上400mで世界新記録(5月5日)
第五回全国女子陸上選手権大会400mで人見絹枝(当時21)が 59.0秒の当時世界新記録を樹立。
6月 張作霖爆殺事件勃発、満州事変へ(6月4日)  
中国北方軍閥の首領・張作霖が、引き揚げ中奉天(現:瀋陽市)の郊外で、列車爆破されて死亡した。
当初、日本政府は事件の真相をつかむことができず、 陸軍相は「中国革命軍のしわざ」と言明したが、日本陸軍が関与しているという噂が流れた。
事実、計画したのは関東軍高級参謀の大佐で、実行責任者は独立守備隊中隊長だった。
治安維持法改正、左派勢力弾圧の流れ強まる(6月29日)
田中内閣は三・一五の大量検挙を行なったあと、警察の発表や右翼の活動によって 共産主義の恐怖をあおり、治安維持法を改正し、最高刑死刑とする苛酷な法案を用意した。
しかしこの法案は議会に提出されたが会期が短かくもとより通過の見込みはなかった。
そのため政府は急いで五月七日議会を閉会し、議会でまったく審議も行なわれなかった 改悪とも言える法案を、六月二九日緊急勅令によって公布した。
7月 市川左團次、訪ソ歌舞伎公演
初めての歌舞伎海外公演であったソ連公演は、団長城戸四郎(後の松竹会長)が統率、
座頭を二代目市川左團次がつとめる。演目は「忠臣蔵」「番町皿屋敷」「鳴神」「修善寺物語」など。
若き日の映画の巨匠エイゼンシュタインからも高い評価を受け、以後彼の映像作品の中にも、
歌舞伎の”見得”の演出技法の影響が見られるようになったというエピソードもある。

アムステルダムオリンピック、(5月11日〜8月12日)
三段跳びで織田幹雄が日本初の金メダルを獲得した。200m平泳で鶴田義行が金メダル、
800m競走で人見絹枝が銀メダルで日本女子初のメダリストになった。
日本のメダル獲得数は、金2、銀2、銅1だった。
8月 日本初の遠距離無線中継
第14回全国中等学校優勝野球大会を甲子園から関東に中継放送。
550kmの長距離をラジオ電波が駆け抜けた。
9月 松竹新喜劇の前身、松竹家庭劇初公演(9月1日)
松竹は、喜劇王・曽我廼家五郎の芝居に対抗するため、
曽我廼家東吾・二代目渋谷天外らの松竹家庭劇、大阪道頓堀の角座で第一回公演。
ミッキーマウス誕生(9月19日)
ディズニー製作の初のトーキーアニメ、ミッキーマウスの「蒸気船ウィリー」完成。
小さな外輪蒸気船が川を航行していて、舵をとるねずみのミッキーが口笛を吹いている。白黒7分。
ペニシリン発見(9月30日)
英国の細菌学者A・フレミングが、ロンドン大でアオカビの一種の培養液中に、
ブドウ球菌の発育を阻止する物質を発見し、抽出してペニシリンと命名。論文発表は1929年。

10月 雑誌「平凡」創刊(10月3日)
平凡社が出版。総頁512、極彩色と銘打った8色刷りの口絵にオフセットや グラビアを豊富に入れ、論文、純文学畑の創作、座談会、 懸賞入賞作など、バラエティに富んだ編集がなされた。売価は50銭。
≪この日はルパンの創業日です≫
松竹歌劇団の前身発足
東京・浅草松竹座を本拠として「東京松竹楽劇部」が発足。
第1期生は水の江滝子ら16名。1933年に松竹少女歌劇団と改称。
11月 ラジオ体操始まる(11月1日)
NHKは8月に放送した「国民保険体操」を東京中央放送局の定時(毎朝7時)放送とし、 天皇即位の大典記念としてスタート。
1929年2月11日から全国放送に。 進行は江木理一アナウンサー。

空前の規模、昭和の「即位大礼」挙行(11月10日)
田中義一首相の発声にあわせ、大礼の行われた京都御所はもとより、 東京の宮城前広場や明治神宮、そして日本中に万歳がこだました。
昭和天皇の即位大礼のクライマックス、「紫宸殿の儀」である。
風雲急を告げる内外の動きの中で、「即位大礼」は約一年間にわたり繰り広げられた。
警視庁、ダンスホール取締令実施(11月10日)
モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)の新風俗を規制の為、 「ダンスホール取締令」が施行される。
12月 日本蓄音機、ラミネーテッド盤レコード発売(12月19日)
「新製法のラミネーテッド・レコードとはラミネーテッド・ペーパーと称する紙に 溶液を塗り、その上に粉末状の材料を振りかけて表裏に2枚おき、その間に中間材料をはさみ、 金属原盤で上下から熱と圧力を加えて製造するもの、この新製法によれば貴重材料を重点的に 集約できること、レコードの耐久力の増大、破損率が少ない、針音が絶無に近い、 などの諸特徴をもち、忠実な音の再現ということでは断然他社の追随を許さないものがあった。」
(『コロムビア五十年史』より引用)