1928年(昭和3年)ルパン開店時のご挨拶


 ルパンが開店のときのご挨拶は、その一部を75周年御挨拶状にも印刷しましたが、
その原本が、一部だけ残っておりまして、先ずはそれをご覧に入れたいと存じます。

開店挨拶状



十月三日開店の御挨拶を申しあげます

 秋も央になりまして、めつきり涼しさが加はりましたが、いづれもさま、ますます、御壯健のことゝ、およろこびを申しあげます。
 つきましては、兼てから、いろいろ御期待くださいました、酒場「ルパン」も思ひのほか、準備に手間どりまして、開店が、のびのびになつてをりましたが、やつとのことで一とまづ、十月三日店開け、といふ、段取りにまで漕ぎつけました。
 なにしろ、装飾一切を頼んだ、フタバ屋のあるじの、慾得をわすれすぎての凝り性に、
電燈器具ひとつでさえおいそれとはゆかず、いろいろに工夫をこらした揚句、お蔭さまで出來上がりましたものは、ちょいと風変わりな、どっしりと、落つきのある店構になりまして、いさゝか自慢が出來やうかと存じられます。

 が、然し、素々、酒揚であります以上は、構や氣分も大事ながら、何を申しましても、うまいお酒をさしあげるんでなくては嘘だと存じまして、ばあ=きいぱあはもとよりのこと、酒そのもの、撰擇にも充分に意を用ひ、特に外國へ人を遣つて、まづ、蘇蘭土生粹、飛切り上等のうゐすきい、“Old Ben Ledi”を取り寄せ、わたくしどもの店の獨占、專賣のものとして、みなさまにお試をいたゞきたいと存じてをります。
 この酒は不幸にして、元來、その生産量がきはめて尠いために、やうやく、わたくしどもの店でだけ、皆さまの御愛用を享け得る程度で、若し、御意に召しました際には、或は、品切れになりはしまいかと思はれるほど、醸造元からの送荷が僅少なので御座いまして、その鮎はいさゝか、心細いとも存じますが、このごろのやうに、日揩オに酒場が續出してまゐりました際、酒を標傍て、皆さまに目見えることを、嬉しく、また、自慢に存じます次第で御座います。
 御承知のとほり、日本酒にしましても、本場の關西と東京とでは、風味の上に、格段の相違があると申されてをります。それと同じ意味のことが、ういすきいにもあるとみえまして、いろんな不平を仰言る通人も御座いますか、それらの方々に是非とも、この酒を召しあがつていたゞき度いと、存じてをります。
 尚、外國へまゐつてをります者から、漸次、各國の特殊な酒類が送つて参る筈で、特に、葡萄酒を撰擇して送るやう申しつけてありますので、近々、にその南歐の美酒が到來いたすことゝ思ひますから、その節は改めて御案内申しあげたいと存じます。

 開店の御挨拶に、甚だしく手前味噌を竝べまして申譯も御座いませんが、萬望、銀座へ御出ましの節には、是非共御立ち寄り下さいますやう、くれぐれもお願ひ申しあげ度いと存じます。
酒 場 ル  パ  ン
京橋區南鍋町一ノ四〇
酒場
銀座風月堂筋向 菊地ビル地下室

 このご挨拶を書いた当時、ルパンの主人は31歳、何かヨロヨロし乍ら、それでいて独特の雰囲気のある文体はなかなかのものと思いますが、如何でしょうか。

 この中で自慢げに述べている「Old Ben Ledi」というウヰスキーを、藤田嗣治画伯が描いたスケッチが残っております。

Old Ben Ledi


 このスケッチは、1929年(昭和四年)11月の開店一周年のご挨拶状に使われました。

 また、開店に当たっては、里見ク先生が直筆のお祝いの言葉を下さいました。
 
里見ク原稿



  タナから牡丹餅
里見 ク

 
 タイガーのお夏さんと云へば、知る人ぞ知る、とのこと。ところが、私は、その頃は、ほんの見知りごしといふだけで、「知る人」とまではいかなかつたのに、どうした事の間違からか、新聞や雑誌で、たびたびの艶聞、今度ルパンを始めるのも、私が後楯(うしろだて)との噂まで擴がり、ほんとか、ほんとかと、逢ふ人ごとに()かれたが、何しろ景氣のいゝ話ゆゑ、さうです、とも云はない代り、いえ、とんでもない、と打ち消しもせずに、笑つて答へずのてを用ゐて來た。
 タイガーをひいてからは、仔細あつて、ちよくちよく逢ふ機會があり、今では、夏ンべえ、夏ンべえ、と、至極(しごく)ざつくに扱つてゐるが、その「仔細」と云つぱ、夏ンべえに、なんでも、タナから牡丹餅の幸運が(めぐ)つて來たとか。牡丹は花の富貴なるもの。いや、芽出度い、芽出度い。
 牡丹と云へば、夏ンべえも、どこかこの花に似て、いや、あでやか、あでやか。
 ところで店は、銀座一番の贅澤(みせ)フタバ屋の主人(あるじ)が、凝りに凝つて、そのために開業が半年ちかく延びのびになつたくらゐ。たまにあの店にはいつてネクタイ一本買はふにも、ビクビクもので一々()を聞く私などが、間違にもそこの後楯とは、この緊縮の世の中に、有難すぎる浮名儲けと云ふの外ない。
 尚また外国(とつくに)の酒の數々、買ひ込みも買ひ込んだり……平民の子の悪い癖で、すぐ値を云ふやうだが、なんと五千兩。……金色夜叉のお宮の指環が三百圓。こんな比較が既に時代おくれの骨頂と云ふものだらう。兎にも角にも世智辛いこの世の中に、タナから牡丹餅とは、返すがへすも芽出度し、芽出度し。

 「お夏さん」とは、ルパンの主人・高ア雪子のことで、本名が「雪子」なので、その反対の「夏」を謂わばステージネームとして使っていました。
 
 75年前、こう言った様々な方々に引き立てられ、ルパンがスタートした様子を、思い浮かべて頂けたでしょうか。